さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は19.5度から27.2度、湿度は74%から52%、風は1mから2mの南の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。
98/53/78 35.7c-97% 60.8Kg 23.5c-61%-1014hPa 相変わらず体調に変化はない。これが死を宣告された男なのかというくらいに元気になった。でも、まだ、走り出すほどの身体でもない。
今日は集落内の「地神(じじん)さん」のおまつりである。おまつりだと言っても、ピーヒャラピーヒャラの笛の音も太鼓の音もない。単なる「例祭」である。まずは、境内の掃除からである。いつからか、このように枯れた竹が覆い被さって危険な状態になっていた。これを先輩が切って落として片付けてくれた。
あとは草や雑木を切ったり抜いたりしながらのお掃除。7時集合だったが、全員が揃ったのが6時半前だった。ここは昔からそうらしい。6時半集合というと、6時には集合するらしい。夏場は6時集合となっていたが、そうすると5時半集合になった。そういう風習らしい。
こういう五色ののぼりがあるのは、このあたり(香川県東部)でも、ここだけらしい。これも昔からの伝統らしい。
このあたりの「地神さん」は五角形の石柱で、五柱(はしら)の神様の名前が刻まれている。それを色で表現してあるのが、この五色の幟である。詳しくは述べない。
で、掃除が終われば、例祭になる。例祭たって神主が来る訳でも祝詞(のりと)を奏上するわけでもない。全員で、二礼二拍手一礼して、一合の御神酒を八人で分けていただき、お洗米と塩を少しいただくだけ。実に簡素化された神事である。地神さんは、田の神さんらしいが、農家は九戸の中で三軒だけになった。
今日は帰ってからの朝食になった。それでも7時半前だった。奥方は今日もお休み。
その奥方は夏野菜の枯れ木や落葉などを燃やして肥料にして、冬物の種を蒔くのだそうだ。そうそう、この奥方、結婚を決めたのは、私が山林や田畑を持っていたからだという。やがて、それが自分のものになると思うとわくわくしたそうだ。神戸の下町の住宅街で育った人には、「自分の山がある」「自分の畑が持てる」というのは夢みたいな話だったそうだ。私にはあまり興味がなくて、「お兄ちゃんたちを大事にしてくれる人」くらいにしか思っていなかったらしい。
私は自治会費の集金やら、郷社の「祭典費」の集金やら、防災無線のスピーカー局の設置交渉なんぞをやっていた。できることからコツコツと。小さなことからコツコツと。
畑仕事から戻った奥方は「暑い、暑い」と言いながらおそうめんになった。私は肌寒いくらいなのだが、逆らったら、「じゃぁ、あんたが作ってくれたらいいでしょ!」と反撃砲が戻ってくるから黙って食べるしかない。
例の「闘病記」を眺めていたらば、あちらこちらでことばが途切れたり、文字が抜けていたりするのが気になった。そこで、全編を見直し読み直ししながら、「改訂版」を作ることになった。個人名が随所にあるのを削ったり、書き換えたりもした。
彼岸花はお彼岸近くになると咲くから「彼岸花」というのかと教えられたけれど、ヒガンバナ科 ヒガンバナ属の多年草であるとのこと。別名は曼珠沙華(マンジュシャゲ)、学名からリコリス・ラジアータとも呼ばれて、中国原産ということらしい。
昔は、この球根に毒があって、モグラが近寄らないからと、田んぼの畦に植えたものらしい。大飢饉の時には、これが非常食にもなったという。先人の知恵だなぁと教えられたことだった。
今日の掲示板はこれ。「鉄は錆によって朽ちる。人間は愚痴によって自分を崩す」という(釈尊)のことばからである。一読して、はっとさせられる言葉である。我が身のあり様を、深く内省させる力がこの言葉にはある。確かに鉄は放っておけば錆によってボロボロに朽ちてしまうもの。しかし、放っとけば錆によって腐ってしまう鉄も、いつも油をつけて磨いていると、顔が映るような鉄にもなる。人も愚痴によって心を腐らせず、磨いていくことが大事だということを教えてくれる言葉であろう。(「2017年版 人生心得帖」より)
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。