さぬき市地方は、低気圧や前線の影響で曇り、昼過ぎまでは雨が激しく降っていた。気温は21.0度から22.5度、湿度は96%から82%、風は2mから5mの北東の風が一時は強かった。明日の26日のさぬき市地方は、上空の寒気や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。
116/58/79 36.3c-96% 60.8Kg 25.7c-66%-1004hPa 体調は変わらないが気分がものすごく落ち込んでいる。
例の闘病記だが、あれだけ何度も何度も読み直して推敲し、校正もかけてきた。だから、これで万全だと印刷・製本して郵送してしまった後だった・・・。「なんで・・・」という無力感・・・。
この表題である。”ビーバーみずほ”という天使がいた。となっている。次の表題も、その次の表題も同じく「天使」になっている。後書きも奥書もみんな「天使」になっている。わたしの言いたかったことは本文にもあるが、「女神」であった。本文は全文、「女神」になっている。愕然とした。
「やってまったなぁ・・・」という失望感と脱力感・・・。原稿を見ても、余った冊子を見ても、当然のように「天使」になっている。既に贈ってしまった以上、その間違いは直せない・・・。昨夜から力の抜けてしまったわたしであった。
奥方に頼まれていたお役目で、とある所にお金を送金して欲しいということだった。「この今月分の給料からお金を出して、この送金票で送って欲しい」というので郵便局に行ったら数人が待っている。みんな、給料日らしい。しばらく待って、通帳を入れたら、「この通帳ではお取引できません」と言う。よく見れば銀行の通帳だった。
仕方がないからしばらく走って銀行に行ったら、ここも10人ほどの行列だった。しばらく待ってお金を引き出して、別の郵便局に行ったら・・・
この金額に誤りがあります。と言う。聞けば、10万円以上は振り込めないのだそうだ。奥様の身分証明書か免許証を見せて欲しいという。そんなものなど持っていない。なんだかんだで、明日にせざるを得なかった。
手ぶらで帰るのもシャクだと思って、所属寺院の年間護寺会費を払っておくことにした。昨夜からは踏んだり蹴ったりだ。で、郵便局員に相談すると、奥方のお金を、一旦、わたしの口座に入金して、そこから振込用紙で送金すればいいと分かって一件落着になった。そういう手もあったのか。
気分直しに、近くでやっている写真展を見ることにした。この人の野鳥の写真はフェイスブックでよく見ている。我慢の写真家、野鳥の専門家みたいな方である。
人のあら探しばかりをするお坊さんよりも、こんな美しい野鳥や自然を一瞬に切り取る鋭い目を持ってもらいたいものである。
ま、室内で画像できれいには写せないが、ま、気分だけでも、雰囲気だけでもと。でも、こうしてみると迫力も美しさもまるでない。やはり、実物を見るしかないのかな。
額が本物のガラスではないので、電灯のあかりが乱反射してきれいには移らない。ま、そのほうが安全だとは思うのだけれど。
そうそう、この方の「カワセミ」の写真が素晴らしい。
こういう写真がみごとだと思う。
今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)
一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)
ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。