さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.5度から24.1度、湿度は76%から54%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れているが、前線や湿った空気の影響で夕方から次第に曇り、夜遅くは雨が降る見込み。
98/48/79 36.3c-98% 61.8Kg 22.4c-52%-1015hPa やっと秋晴れらしくなってきた。しかし、これもつかの間、すぐに雨や曇になってしまいそう。
昨夜は定時の20:58分に寝て、今朝は4:45分に起きられた。で、奥方が早出だというので、6時前の朝食になった。最近はおなかが空くのだから身体は好調な様子。
今日は月初めの火曜日と言うことで、さぬき市前山の「地区活性化センター」への出勤日。ここで、観光ガイド大窪寺班の例会がある。
ここには「へんろ資料室」というのがあるのだが、今は「リニューアル中」である。私たちの仲間も応援部隊として活動中だが、私たちの大窪寺班は参加していない。そこまでもは手が回らないというのが実情なのだ。
最近は、志度寺班や長尾寺班が、どんな活動をしているのか見えてこないのでよく分からないが、我が大窪寺班は毎月の勉強会を続けている。今日は、主に英語版のガイドマニュアルの話題と、八十八カ所道開き和讃についてであった。
メンバーの中に、英語塾の先生がいるので、このマニュアルの案文を見てもらったら、概ねよろしかろう・・ということになった。本堂にある木の看板を私が「wooden tag」としたのだが、「ウッドン・タグ」とはあんまりにも安直ではないかという意見も出たが、先生が、「じゃぁ、”ki-huda" を付け加えたらどうですか?」などという声も出て、大笑いになったことだった。
じゃぁ、ポケット翻訳機の導入はどうか?と言う提案があったが、誰も買ってやる・・と言う人は一人も居ないし、スマホすら持っていない人ばっかりだから要領がわからない。次回までの検討課題になった。本体価格は一万円でも、通信費がどれくらい必要なのかという点が問題になった。
この、「八十八カ所道開和讃」についても、一通りは説明したが、文字や言葉が難しいので、あんまり興味はないみたい。
で、この中に、「そも巡拝の御姿は 麻の衣に網代笠 背なに荷俵三衣の袋 足半草履をめし給い・・・」という部分があるが、この「足半(あしなか)草履」についての説明をしておいた。
「かかと部のない,足の半ばぐらいの短い草履。芯縄(しんなわ)を前緒とするため,わらじと同様、足指が地面に付くので踏んばりが利き、田畑や河川での労働や歩行に用いた。鎌倉時代に草履とわらじからつくり出された。《蒙古襲来絵詞》には,足半を履く武士の姿が描かれており,新しい戦法で押しよせた蒙古軍との戦いに,すべりやすい合戦場で威力を発揮したものと思われる。当時は半物草(はんものぐさ)といった。室町時代の《今川大双紙》(応永年間刊)には〈足なが〉の文字が初見されるが,当時はもっぱら武士が軍陣や戦場で履いた。出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 江戸時代の遍路も、この足半草履を履いていた・・という話である。当時は便所も汚く手洗いもないので、わらじだと汚れると困るので、このあしなか草履を履いていたという。 で、次回(11月10日)の勉強会は、紅葉の大窪寺を歩きながら、英語でのガイド実習を行うことになった。もう、その頃になると境内の大銀杏の木も葉っぱを散らしてしまっているだろうし、本坊前の紅葉も真っ盛りとなっている頃らしい。 やっぱり、「現地に行こう」「現物にさわろう」というのが一番の勉強になると思う。で、お昼は門前のお店でおうどんを食べての反省会にもしたい。 今日の掲示板はこれ。「自分は自分の主人公。世界でただひとりの自分を創っていく責任者」という東井義雄先生の言葉から。これは、“教育界の国宝”と称えられた伝説の教師・東井義雄先生の遺した言葉。東井先生は、子どもたちに素晴らしい人生を送ってほしい、自分で自分の人生を粗末にするようなバカな生き方をしてほしくない、という祈りのような願いを持ち続けていた。結局、道にいい道、悪い道というのがあるのではない。その道をどんなふうに生きるかという、その生きざまによって、良く見える道も悪くなったり、悪く見える道も良くなったりするのである。五千通りの可能性の中から、どんな自分を取り出していくか、それぞれみんなの一人ひとりがその責任者なのである。世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、それぞれみんなの一人ひとりなのである。 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。