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Channel: まほろば自然博物館
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コスモスや札所を目指す杖がある

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 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る見込み。今日の気温は17度から22.9度、湿度は78%から53%、風は1mから5mの北東の風が少しばかり。明日の
8日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込み。

 

 118/63/77 36.4c-98% 62.4Kg 20.4c-59%-1018hPa 今日はなんだか身体が重いが、別に食べ過ぎでも水分の飲み過ぎでもない。

 

 今朝は食パンがなくなったとかでおにぎりになった。別にご飯でもパンでも問題はない。

 

 我が家のキンモクセイが満開状態になってきた。香りがわかればいいのだろうが、わたしには少しも匂わない。それは子どもの頃かららしい。

 

 少し体重が増加気味なもので、少しは運動でもと、今日はこの水路周りの草刈りをすることにした。こうしてみると、我が家の草のように見えるのだが、この水路周りは「水利組合」のもの。我が家の土地ではない。ブロック塀は我が家のものだが、その外側は「泥揚場(どろあげば)」というもので、よそさまの土地である。

 

 ここの草刈りや掃除は年に二回か三回程度。そうそうは草刈りなどやってはくれない。だから、自然と私が刈ってしまうほかないのだ。で、草刈りをしたからと言って一升瓶が届くわけでも、金一封が届くわけでもない。だから、いい加減にやっておけばいいものらしい。

 

 水利組合だって、水路周りに草が生えていようといまいと水量には関係ないらしく、さほど気にもしていない様子。でも、我が家からすれば草まみれではみっともない感じがする。このあたりの言葉では「ふ が悪い」という。みっともない。世間様から見て恥ずかしいというような意味である。”風体が悪い”というような意味合いだったのかも。

 

 それだし、「ぞろげな」と言われかねない。不潔な様子、整理整頓が出来ていない様子などを言う場合に使う。だから、適当な時期に草刈りもやっておかないといけない。

 

 北側の15mくらいの水路周りが終わると、今度は南側の50mくらいの水路周りに掛かった。ところがこちらがわは、ごらんのように草丈が長いし太い。まるで木になったようなものまであった。

 

 数年前までは草刈り機で刈ったものだが、今はもう、そのパワーがない。平地ならばなんとか草刈りもできるのだが、こうした斜面になると重たくてどうにもならなくなった。だから、こうした長短の鎌を使っての「手刈り」になってしまう。

 

 で、これが旧道にかかっていた橋である。いつもはここまでを刈り払っている。これから先はよそさまの土地になるので入れない。ここでユータンして、今日はここまで。

 

 ふと、帽子になにかがしがみついて動いているので、帽子を取ると、大きなムカデが・・・。長さ15Cm くらいはあろうかというもの。さすがに帽子を水路に投げ込んで、鎌や足で踏み潰してみた。尻尾は残っていたが、頭や胴体が見当たらない。いくら探しても見つからないのであきらめた。

 

 お昼からは、共同募金で集めたお金を「社協:社会福祉協議会」へ納めてきた。いつまでも他人さまのお金を預かっているのは気分が重い。

 

 今日の掲示板はこれ。「心は見えないが、心くばりは見える。思いは見えないが、思いやりは見える」。というもの。

「心」は誰にも見えない。
 けれど「心遣い」は見える。
「思い」は誰にも見えない。
 けれど「思いやり」は見える。
 あたたかい心も、
 やさしい思いも、
 行いによってはじめてみえる。
           ~宮澤章二(詩人・作詞家)~

 この詩は、震災後のAC広告「思いは見えないけれど、思いやりは見える」のフレーズでご存知の方も多いと思う。詩の作者である宮澤章二(1919~2005)は、埼玉県羽生市出身の詩人・作詞家である。彼は、同じ埼玉県の(現)加須市出身の下総皖一(1898~1962)と出会ったことで、詩人・作詞家として活動を開始した。彼の詩は、子どもの頃の学習教材の表紙に、しばしば掲載されており、当時からとても身近に感じていた。今、改めて読み直してみると、新たな新鮮さがある。最近はもう、こういう言葉を聞かなくなって久しいが、今もなお、語り継いでいかねばならないことばだと私はおもう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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