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Channel: まほろば自然博物館
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秋雨に濡れてコスモス立ち尽くす

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 さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で朝まで雨が降り、未明には雷を伴う雨が降っていた。午後は高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は17.0度から22.2度、湿度は94%から52%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 112/55/77 36.5c-98% 63.2Kg 21.4c-67%-1014hPa 体調的には変化はないが、やや、体重が増加傾向にあって尿の量が少ないようには思う昨今。

 

 昨夜は激しい雨だったし、すぐ横を流れる津田川の水音もすごかった。まるで台風でもやってきたかのような水音だった。

 

 だから、朝が来るのも遅かった。ようやくに明るくなった6時半ごろになると雨の量も少なくなった。さりとて、散歩に出掛けられるような雨ではない。

 

 だから、朝の間は「白衣研究」の続きをやっていた。しかしのかかし、「白衣(はくい)」と言ってもさまざまな「はくい」がある。先日の「医療用白衣」もその一つだったし、今日の「僧侶用白衣」とか「神官用白衣」というのも「はくい」の一つ。一方で、違う意味の「はくい」がある。好いこと、美しいことに云ふ。又客種のよいこと、入場客の多い景気のよいことに云ふ。「セコイ」の反対。〔隠〕①芸人仲間で客種の善いこと、又は入場客の多いこと。②すべて景気のよいこと。③香具師間の言葉、上等品の事。金満家・別嬪。芸人仲間では客種のよいこと。又入場者の多いこと。香具師仲間では上等品のことをいふ。とあるが、これは別物。

 

 神職や巫女、皇族などが儀式を行う時などに、また、僧侶も法衣の下に白衣を着用する。この白衣は絹、綿、麻製などで、着物状であり、その下には白襦袢を着る。また白衣には白帯を用いる。これらは夏用と合用がある。なお、白衣は「はくえ」、「びゃくい」、「びゃくえ」などと読む場合もある。(『神祭具便覧39巻』)

 

 白衣とは、①白い衣服。はくい。②白小袖に指貫さしぬき・袴はかまなどを着ただけの装束。③武士が袴をつけていなかったりすること。僧が黒衣を着けずに白い下着だけでいること。非礼なこととされた。 ④〔墨染めの衣を着ていないのでいう〕 僧侶になっていない俗人。在家。(出典 三省堂大辞林 第三版)

 

 白衣 白衣(びゃくえ)は、霊場巡礼の際に着用する白い上着である。法被と同じように袖の着いたものが普通であるが、ベストのような袖なしのものもある。元来は笈摺(おいづる)といって、昔は巡礼の際に観音像を背負って歩いたが着物が観音様が直に触れてはいけないとして、白い布を間に当てたのが起源となる。白は穢れなき心を表し、様々な悩み、迷い、汚れを落とすという意味も持つとされた。

 

 1200年の長い歴史のあるお遍路で、白衣はどのくらい歴史があるのだろうか。実は白衣の歴史は浅く、お遍路に定着したのは昭和初期ではないかと考えられている。弘法大師・空海が生きた時代は八十八ヶ所の札所は指定されておらず、お遍路の概念もなかった。自然豊かな環境で精神を鍛えることが目的で修行僧は四国へ来たと考えられている。後に、弘法大師を信仰する人々が、彼の足跡をたどるように巡礼を開始した。また、江戸時代になってからは弘法大師信仰に加えて観光目的のお遍路さんも増えたと言われている。

 

しかし、江戸時代のお遍路さんには決まった服装はなく、白衣とは限らなかった。これは「近世風俗志」という書物に記載されている。

 

 我が国において仏式で葬式を行う際、故人は白装束を着せられて棺桶に納められることがある。同様に木製の杖や菅笠も棺桶に入れられた。お遍路さんの着る白衣も死装束としての意味が込められているとされている。それは、険しい遍路道の道中で息絶えても成仏できるように死装束を着ているというのである。また、死装束で巡礼するお遍路さんは浄土(聖なる世界)へ歩いていることを示しているとも言う。現在のお遍路では旅の途中で息絶えるような危険性は少なくなったのだが、現世において功徳を積み重ねてご利益を得ようとする人は修行者の正装として白衣を着ているのだという。

 

 午後からは晴れてきた。昨夜の雨がまるでウソのように晴れ渡ってきた。

 

 だから、今日も少しばかり集落内を歩いてみた。だが、やはり本調子ではないのか足がひきつるようでうまく歩けない。昨日の草刈りがこたえたのだろうか。なんともだらしなくなったものである。

 

 昨日の草刈りの後である。昨夜の大雨で刈り払った草などが流されてさっぱりとしたかと思ったが、なんら変わるところはなかったみたい。あの雨は音ばっかりだったのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「普通の人は普通に生きているのがいちばん幸せです しかし 何事もなく普通に生きていくのがいちばん難しい」という、荒了寛さんの言葉から。ありのまま」に受け入れることができれば「幸せ」で、人はそれがなかなかできないから「幸せ」に気づかない。つまり、いつでも「いま」を「ありのままに受け入れる「自分」がいれば「幸せ」だと、解釈できるのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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