さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.0度から20.3度、湿度は80%から50%、風は3mから7mの西の風が一時は強かった。明日の25日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
112/55/79 35.8c-97% 62.0Kg 18.4c-52%-1010hPa 体調に変化はないが、やはり、体重と尿の量が気に掛かる。朝は64.4Kgにもなっていたが、お昼前には62.0Kgになった。やはり、尿が多く出れば体重は減る。
「今日はテル子おばさんの四十九日だからよろしくね」と、言い残して奥方は6時前に出て行った。「・・・・・」と、呆然とする私。
テーブル上にはのし袋だけ・・・。確か、退院してきた当時は、「ね、お願い!、そこに寝ているだけでいいから、生きていて・・・」と言ったはず・・・。
家中のどこを探しても礼服の準備はない・・・。玄関を見ても靴の用意もない。先日の病院代の残りを並べてみると、1万4千円しかない・・。法要は午前10時からになっている。大急ぎでお包み袋に「お香典」と「お供え料」を包んで、礼服をタンスから探し出して・・・。こんな時には黒い靴下が見つからない。黒いネクタイも見つからない。見つけた靴下には穴があいている・・・。
法要はお寺だと聞いたので、とりあえずはここへやってきた。いつも掲示板でお世話になっている赤松先生のお寺である。慌ててきたので「入れ歯」を忘れてきた。お念珠は礼服のポケットに入っていた。おつつみ袋は内ポケットに入れてきた。
どうにか、時間前には間に合って法要になった。午前10時から12時までの2時間、三部経さまのおつとめだった。この叔母様は私の父の実姉である。確か、99歳での往生だったと聞かされた。今日の隣の席には、親父の実弟がいる。もう、この叔父さん一人になった。
途中の休憩時間にも、話すことと言えば病気の話ばかりになった。「どななんや・・」「昨日も病院に行ってきたがな・・」みたいな情けない話ばかりに終始する。
心配した「おとき」だが、時節柄、テイクアウトのお食事になって、会食や飲食にはならずにほっとした。ビールが出たらどうしよう、お酒が出たらどうしよう・・と思ったのだが、お料理膳をいただくと、そのまま帰宅することになった。新しい生活様式というか、「ニューノーマル」というのか、こういうのもいいかなぁと思ったことだった。
だから、休憩時間中のお茶出しもない。こういう袋にお茶のペットボトルとお茶菓子が入っている。自分で勝手にどうぞ・・ということらしい。
お料理とお供えをいただいて、自宅でお茶漬けを食べた。もう、時間は13時をすっかりと回っていた。
最近は、朝ドラの影響で、「長崎の鐘」や「とんがり帽子」や「栄冠は君に輝く」「海の進軍」なんぞを歌っていたのだが、昨日から、この「遠き昭和の・・・」ばかりを歌うようになった。
このサビの部分の「喧嘩もしたさ~突っ張りもしたさ 遠き昭和の・・・まぶしい時代~♪」ばかりを口ずさんでいる自分がいる。
今日の掲示板はこれ。「思いわずらうな。なるようにしかならんから今をせつに生きよ。」という仏陀の言葉であるとされている。何も思い悩むことはない。なるようにしかならない(結局はなるようになる)のだから、何事にも囚われずに・・「今」を大切に、真剣に生きることが大切だよと言うとるらしい。「ああ、法事と言えばおときがあるのに、大事なときに入れ歯を忘れた」だの、「車で来たのに、お酒が出たらどうしよう・・」と考えたことがばからしい。奥方が、「今日のお昼はサケ茶漬けで食べておいてね・・・というたけど、法事におときはつきものなのになぁ・・」と考えたけど、結局は今日のお昼は「サケ茶漬け」になってしまったではないか・・・。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。