さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は9.0度から12.5度、湿度は86%から48%、風は4mから7mの西の風が一時は強かった。明日の3日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
110/62/78 36.4c-97% 61.8Kg 22.1c-42%-1016hPa 体調に変わりはない。肩こりも依然として右腕が痛い。バンテリンと貼るカイロのお世話になっている。
昨日は奥方がお休みだったもので、このサルのかじった大根の上は切って捨てて、残った部分で「切り干し大根」を作った。それをブルーシートの上に並べてあったのだが、これでは移動するのが面倒だ。
それで梅干し用の大きな竹のザルに入れ直してみた。これだと雨が降ってもすぐに収納ができるから。
それがザル四個分にもなった。一週間ぐらいは乾燥するのだろうか。
乾燥したら、こんな具合になるのだと思う。しばらく暇つぶしができそうだ。
で、時間(10:00)になったので、またもやさぬき市の図書館寒川別館に行ってきた。借りていた三冊だかの本を返却して・・・、
今度は五冊の本を借りてきた。いずれも四国遍路の本ばかりだ。
こういう本も借りてきた。
目的はこういう古い資料の収集である。私が子どもの頃の大窪寺と言えば、こういう風景が当たり前だった。
こういう写真も見つかった。この縁の下にはおびただしいギブスやコルセットや松葉杖などが無造作に押し込まれていて不気味だった。それがいつしかなくなった。ここに納めることが禁止になったみたいでさっぱりとなくなった。
こういう写真も見つかった。市川團蔵さんは大窪寺さんで休憩したことがあったのか。その後、前の八十八庵のうどんを食べて旅立って行ったのか。
その前の長尾寺さんの画像もあった。その後、小豆島の島四国を回り、夜の船から身を投げて姿を消してしまう。この写真でも満足げな表情はない。歌舞伎界から足を洗い、全てを消してしまおうとする悲壮な遍路姿であった。
一方、この画像は八十八番大窪寺の入り口である。昭和41年当時は、こんな大きな松の木があったのか。今はもみじばかりになっている。この女性は、市川市から来た「金剛寺公子」さん(22歳)である。娘さん一人で遍路して話題になった方。この方、結願後、この長い黒髪をバッサリと切って納めたという。あの頃、まだ、そういう習慣が残っていたのか。私が18歳の頃か・・・。
今日が節分。今日の掲示板はこれ。「相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である」という曽我量深先生のことばからである。「鬼」という言葉には、「仕事の鬼」というようなひとつの道に邁進する人を表わす時もあるけれど、心の冷たい人、情け容赦のない人、恐ろしい人・・・といった意味を指している場合が多い。自分に危害を加えてくるような相手、願いや希望を摘み取ってゆくような相手、そんな人に対して「あの人は鬼だ!」と思うものだ。そんな時はその相手がいかに冷酷で残忍な言動をとったかということばかりをあげつらい、憎み、ののしるのが普通だろう。しかしそれがそのまま私も相手と同じ鬼になっているというのである。自分にとって不利益な相手を「鬼」と断定した途端、私はその人を「人」と見なしていないのだ。だから、その不利益な相手を「退治」し「成敗」しても良いこととしてしまう。そう思った瞬間に心の行いとしての(意業)では、私は恐ろしい形相でその相手を八つ裂きにしてしまうのだ。もうそれは「鬼」そのものに違いない。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。