さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜は前線や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨や雪の降る所があるらしく、雷を伴う所がある見込みだそうな。明日の17日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で曇り、雪や雨の降る所があるらしい。明け方まで雷を伴う所がある見込み。
115/64/81 36.2c-98% 62.2Kg 19.2c-47%-1000hPa 体調に変わりはない。肩こりはぐんと楽になった。
すっかりと春めいてきた風景だが、風が冷たくて今日も在宅ワーク。肺が弱いのと気管支も弱いので、肺炎になると命取りだとドクターに厳命されている。
だから今日も「机上調査隊」で、古い写真を探し出していた。これは「奥の院」(胎蔵峯寺)で、古くにはこうした岩穴に阿弥陀如来などをおまつりしていたらしい。
その後、その岩穴の前に、こうした木造の建物が建てられたらしい。
その中はこうなっている。紋所は「金剛峯寺定紋」ということになっている。手前には囲炉裏が切ってあってお籠もりをしていたのかも知れない。
これも少し前の写真だと思われるのだが、いささか風景が違う。
これも10年も昔の写真らしいが、手水盤の位置が少しばかり違うし、不動明王像が新しく設置されている。その時に手水場が移転されたのだろうか。こういう微妙な変化には全く気がついていない。
ま、そういうことばかりやっていると、オツムが乾いてしまうので、こういう遊びでリフレッシュしておく。
ところがこれも簡単には解けない。ああだ、こうかもと考えると一時間ほどはすぐに過ぎてしまう。
本堂の南西には仁王門があり、それを潜って西参道が伸びている。この参道は夏至の日出と冬至の入日の二至ラインに一致していて、冬至の日に境内の内側のほうから仁王門方向を見ると、冬至の入日が仁王門に掛かる形になっている。また、本堂の北西方向には矢筈山があり、その方向は夏至の入日に一致する。
また本堂から見て北東には東女体山があるが、その山頂方向は夏至の日出方向に一致するという。こうした構造も、二至(夏至と冬至)の太陽出没を神聖視した修験道の名残りだと推定されている。
これは本堂の様子だが、全員が白衣姿だから昭和の50年代頃だろうか。少しばかり本堂の様子も違っている。それに手前の石仏はどうなったのだろうかと、謎がまたまた膨らむばかりである。
今日の掲示板はこれ。「一日は一生の縮図なり」という森信三先生の言葉で、いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。森信三先生はいう。「わたくしたちはこの2度と繰り返せない人生を、できるだけ有意義に、充実した人生として生きなければと思うのであります。ところが、そのためには、結局は一日一日を充実して生きる他ないと思います。したがって、真に充実した一生になるかならないかは、その人が『今日』一日の仕事をやり遂げるか否かによります。まことに『一日は一生の縮図なり』です、と。来週が終われば2月も終わる。再来週からは3月になる。今日の目標をしっかりと見据え、今週の目標をしっかりと確認し、1日1日を悔いなく、ムダにすることなく歩きつめてゆきたいものである。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。