さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は11.5度から13.2度、湿度は72%kら54%、風は4mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。
110/66/77 36.0c-97% 63.2Kg 20.4c-42%-1018hPa 体調に変化はない。肩こりも軽くなってきた。
今日は天皇誕生日だというけれど、静かな、少しばかり冷え込むような休日である。
で、追加バージョンでの観光ガイドマニュアルの増刷である。これは口絵でここだけがカラー印刷になっている。
あとは、昨日、トナーを買ってきたのでフル回転で印刷モードである。
奥方は本来は昨日がお休みなのを今日に振り替えてのお休みになったらしい。で、ジャガイモを植えるのだと畑を耕している。私は全く、そういう趣味はない。
で、増刷分の六冊の印刷が終わったので製本段階である。最初はモノクロ用だからとモノクロの原稿で複製したら真っ黒になってしまった。そこで、もったいないがカラーの原版を作って、それで複製したら、少しはまともな紙面になったので、それを六部作ってみた。
で、最初の八冊の上に六冊を作ったので十四冊になった。表紙だけは厚い用紙でカラー印刷したが、はやくもインクカートリッジが空っぽになってしまった。またしてもインクジェットのインクの注文である。
我が家の梅も満開である。奥方は畝作りも終わって肥料(元肥)を蒔いている。これが奥方のストレス発散みたいである。
さて、次の課題であるけれど、長尾寺から大窪寺に至る旧道に、義経軍がここを通って屋島に向かった・・・と言う伝承がある。多和に「力石」というところがあり、そこに大きな石がある。これを弁慶が持ち上げたとかなんとか・・。一般的には上図のように、徳島から大坂峠経由で屋島に向かったことになっている。だのになぜ・・吉野川を遡って多和を経由して屋島に向かうことになったのかと・・。
さらに・・である。大窪寺は天正の兵火、つまり土佐の長宗我部軍の兵火で全焼したことになっている。ま、どこの神社仏閣にもそう書いてあるのだけれど、大窪寺は讃岐と阿波の県境に近い秘境のような山奥にある。近くにお城などない。こんな山奥のお寺がなぜ、焼き討ちされなければならなかったのか。
長宗我部元親の初陣の像らしい。織田信長でもあるまいに、お寺や神社はことどとく焼き尽くすつもりだったのだろうか。
これは大窪寺にある、長宗我部軍謝罪の石仏である。侍大将正木修理亮の子孫が罪業消滅のためにごめんなさいと石仏を建てている。本当に長宗我部軍はここまで来たのだろうか。今後の宿題である。
今日の掲示板はこれ。「尊いのは足の裏である」という坂村真民さんの言葉で、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。
尊いのは足の裏である
尊いのは 頭でなく手でなく足の裏である
一生人に知られずに一生きたない処と接し
黙々としてその勤めを果たしてゆく足の裏的な仕事
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
頭から光が出る まだまだだめ
額から光が出る まだまだいかん
足の裏から光が出る そのような方こそ
本当に偉い人間である
「尊いのは足の裏である」という詩である。災害や地震などで断水になったというニュースを何度も聞いた。香川では「高松砂漠」ということで断水や節水を余儀なくされた。蛇口をひねっても水が出て来ない。シャワーからも水が出て来ない。トイレの水を流すことができない。今まで何とも思わず当たり前に過ごしてきた日常が、有り難いことだったなと、水が出て来なくなって知らされたことだった。思えば、水だけでなく、太陽の光、土の恵み、自然の恵みだけではなく、人間のあたたかさ、ぬくもり・・・当たり前になった瞬間に光を失ってしまう。真民さんは「足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ」と言っている。 だれに褒められるでもなく、感謝されるでもなく、黙々とと支えて下さっている足の裏。その足の裏に感謝する心を育むことが、自分が豊かな人生を送ることができるになるだろう、その心を大切にしたいと思う一日であった。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。