さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は12度から16.5度、湿度は92%から66%、風は0mから3mの北の風が冷たかった。明日の7日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夜遅くには雨の降る所があるらしい。
109/61/78 36.5c-96% 63.6Kg 22.0c-45%-1022hPa 異常はない。ただ、眠たいばかりだ。
私の当面の目標だった「あなたの知らない大窪寺」ガイドマニュアルが一応の完成をみたからか、目標が見えなくなったからか、とんと力が入らない。
だから、小雨の中を大窪寺経由で長尾寺まで行って来たのだけれど、見る気がなければ何も見えないようで、何の収穫もなく戻って来た。
で、昨日の続きで長尾町史から「大窪寺年表」を作っているのだが、眠たくて眠たくて作業にならない。夜中に何度もトイレに行くからかどうなのか。
年表も鎌倉時代、室町時代を経て江戸時代までやってきた。日本史の復習である。そういう時代の流れの中で、長尾町の仏教や神道はどのような動きをしてきたのかをまとめているのだ。
だから、こうした目薬で目を刺激しながら、休ませながらの作業になっている。
例のガイドブックを読んだ人からの感想や意見が寄せられた。これを「追加版」にまとめたいと思ったものだった。こうした意見はありがたいと思うばかりだ。
目薬と言えば、子どもの頃には、こんな目薬だった。上側(向かって左)の蓋を外すとゴムのボタンのようなものがあって、そこをペコペコと雄と、下側から液が出た。
こういうものだった。目薬がなくなると、こどもらの玩具になったが、これをどうやって遊んだかは記憶にない。
さらに、おばあちゃんは、このような貝に入った薬で目を洗っていた。この貝の中に少量の水を注いで、しみ出した液体で目を洗っていたようなおぼろな記憶である。
確かに、目薬をさすときには口まであけている。口には目薬はいらないのだけれど。
今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です。」というもの。この世は無常である。常なるものは何もない。「ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず」と言われるように常に変化している。「時間よとまれ」ということはありえない。無常なるがゆえに、一寸先は何が起こるかわからないもの。一寸先は闇。いくら一生懸命努力しても、勉強しても、頑張っても、結果はどうなるかわからない。どっちに転ぶかもわからない。どっちに転んでも大丈夫といえるものを身につけていなかったら、結果が悪かった時、とても苦しいし、辛い。仏法を聞くとは、どっちに転んでも、災難がきても、思い通りにいかなくても大丈夫というものを得ることである。災難が来ないように祈るのが信心ではない。この世は必ず、生老病死の苦しみに会うところ。祈って無くなるものでは決してない。生きていれば必ず別れや死がある。与えられたことを引き受け、それを乗り越えていくしかないのである。その乗り越えていく力を得ることが信心だというているのだ。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。