さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14度から23.6度、湿度は96%から46%、風は1mから5mの北の風が一時は強かった。明日の26日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。
118/79/81 35.9c-97% 63.8Kg 20.4c-45%-1018hPa 体調に変化はないが、今日は無性に眠たくてたまらない。いつものように寝ていつものように起きたのだけれど。今が春眠という時期なんだろうか。
それに左足のつま先、それも親指の先っぽが痛い。
というのも、昨日、マダケのタケノコを見つけて、それを折ろうとして・・・、
足を取られてというかバランスを崩して、窪地に落ちてしまったのだ。昨日は痛みもなくて平気だったのだが、今日になるとつま先が痛くてスリッパや靴だと痛くて歩きにくい。全くドジになってしまったものだ。
そのタケノコは昨日のおかずになったし、当分はタケノコだらけになりそうだ。
ということで、今日はステイホームで日本文学のお勉強。いや、文学や国語のお勉強だけではなくて世界地理や生物学やら世界菓子学やらと多彩なお勉強である。「オーストラリアの世界最大の珊瑚礁は何か」と聞かれても分かるはずがないじゃないか。
ダルメシアン・・って何だ?それをトイレで考えていて、肝心の用事を忘れて出てきてしまったりする。その答えを「シーリー」に応えてもらうのはなしだ。それでは脳トレにはならないではないか。
でも、こういうのばかりでは気分が滅入ってしまうし、こんないい天気なのにもったいない。そこですこしばかりドライブをしてきた。これだと人には会わずに済むし、会話をすることもない。
今の時期、山ではヤマフジが咲き乱れている。
ここのダム公園にもテントがたくさん。ここ以外にもあちらこちらで密集を避けてテントを立てている人がいる。これからの時期にはアウトドアもいい季節になる。
山の新緑、若葉もきれいな季節になってきた。
今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。