さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は22度から25度、湿度は86%から72%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で曇り、明け方から昼過ぎにかけては雨が降る見込み。
118/68/78 36.1c-98% 66.2Kg 25.8c-58%-1016hPa 体調に変化はない。良くもならないし悪くもならない。
数値的には問題がないのだから大丈夫なんだろうけれど、動くのが辛い・・というのは正常ではないような気がする。「ドクターの薬を忘れずに飲んで下さい」という、ただ、それだけである。
さて、天気予報は雨だった。朝の間は馬ブドウの葉っぱを外に出して乾燥させていたり、生ゴミ、燃えるゴミの処理やら空き缶の片付け、ペットボトルの処理やらをやっていた。少しずつでも動かないと歩けなくなってしまいそうになるからだ。
今日は雨だからと、デスクワークの日になった。例の観光ガイドマニュアルの追加作業である。結願所(けちがんしょ)に納められた「お杖」はどうなるかと言えば、春と夏の大護摩供養でお焚き上げになる。「ねぇねぇ~、おかむらぁ。大護摩供養の時、井桁に材木を組むのはなんでぇ?」と、チコちゃんに質問されそう・・・。
観光ガイドをやって、もう、7年。知らないことはない筈だと思っていたが、考えてみれば知らないことばかり。あれも知らない、これも知らないと知らないことばかり。よそ様の土地のよそ様のお寺さんだから知っていることが少ないというもの。
どんどんと原稿が仕上がっていく。
今日のお昼はまたしても「おそうめん」にした。どうにもご飯は入らない。お米を噛む・・という動作が面倒になるのだ。だから、パワーが出ないのかも知れない。
このあたりのお年寄りが、「縠(ごく)を食うから元気なんじゃ」と口癖のように言うけれど、確かにそれはあるのかも知れないと思うようになってきた。そういう点からしてみれば、そうめんだって「縠」からできているのだろうし、炭水化物の一つだとは思うのだけれど。
で、油断をしていたら、お昼からは雨・・・。「あらあら・・」と、干した馬ブドウの葉っぱを取り込んだが、しっかりと濡れた。
このガイドブックも大詰めを迎えようとしている。
外は雨。「雨々ふれふれ もっとふれ 私にいいことつれて来い 雨々ふれふれ もっとふれ 私にいいことつれて来い~♪」
今日のおやつはこれにした。センタンの「白くま」である。鹿児島の「白くまくん」かと思えば奈良で作られているとかの別物か。でも、まろやかでおいしかったな。
今日の掲示板はこれ。「「しあわせ」の中にいるのに「しあわせ」が見えない」というもの。さだまさしさんの話である。「「老後の幸せ」とみんな呪文のように言うけれど、僕は幸せって虹みたいなものだと思っています。雨が降って初めて虹が出るように、不幸せという言葉があって初めて幸せというものが見えてくる。幸せっていうのは、あるようでないし、ないようであるものなんです。 これは僕の考え方だけど、生きている人間はみんな、ポケットにいっぱい幸せを入れて持ち歩いているんだよね。ところが、上から不平や不満をどんどん詰め込むから、いざポケットに手を入れたら、不平不満しか出てこなくなる。だから「ポケットの中をよく探せよ」って話をよくするんです。 だいたい生きているだけでも苦しいじゃないですか。お釈迦様のすごいところは、生きていることは苦しいことだって発見してくれたことです。苦しいのは僕だけかなって思うくらい、つらいことはないですよ。 「そうか、人生が苦しいのは当たり前なんだ」と思うことで、幸せの捉え方はうんと変わってくる気がしますね。だから、何か苦しいことがあっても、諦めないこと。生きることを諦めずにいられたら、それが一番幸せなんだと僕は思います。自分を諦めてしまうところから、不幸せは始まるんですから。」と。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。