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Channel: まほろば自然博物館
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もぐ人も喰う人もない枇杷がある

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 13日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、上空の寒気や湿った空気の影響で午後からは雨や雷雨となる所があるらしい。午後は激しく降る所がある見込み。気温は21.5度から30.8度、湿度は94%から76%、風は1mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて午前中を中心に晴れるけれど、上空の寒気や湿った空気の影響で、昼過ぎから雨や激しい雷雨となる所があるらしい。

 

 102/54/80 36.2c-98% 61.4Kg 24.6c-77%-1013hPa 体調に変化はない。やはり、夜中に1時間ごとに起きるからか眠たくて仕方がない。だったら、ゆっくりと寝てればいいのに・・と、奥方は言うけれど、どうしたことか4時過ぎになると寝ていられないのだ。

 

 で、やはり、大窪寺から東かがわ市の三宝寺までの丁石・石造物調査のレポートをまとめていた。

 

 四国のみち(四国自然歩道)は全長1545.6kmの長距離自然歩道で、国交省が管轄するもの。起点は徳島県鳴門市、終点は徳島県板野郡板野町。四国霊場や、各地に点在する身近な自然や歴史に親しみながら、歩いて四国を一周することができる。 愛媛県内の四国のみち(四国自然歩道)は環境省管轄。大小の島々が浮かぶ瀬戸内海、複雑な海岸線を有する宇和海、四国カルストの美しい自然や、へんろ道、旧街道、神社仏閣の歴史・文化に触れながら歩く、全部で33コース、総延長362.5km。

 

 その四国の道と旧へんろ道が重なったり離れたりするからやっかいで、若いお遍路さんは、それが正しいへんろ道だと思い込んで歩いてしまう。それをSNSで発信してしまうからややこしいことになる。上の図で、左側中央の「大いちょう」からは、国道377号に沿うのだが、四国のみちは「みぞおちの滝」のほうに迂回して、結局は長野の八丁坂まで戻ってくることになる。

 

 それはさておき、この15日の朝からしわく広島の家に帰る。島の家の草刈りが主なお仕事。これがその時の買い物リストである。今回は軽四での島入りになるので、あれやこれやと買い物がたくさん。普段は手に持てるものしか買えないのだけれど、車だからどんどんと買い込んでおいた。

 

 で、このホームセンターなんぞ毎日のように来ては、あれこれと買うのだが、計画性がないものだから、帰ってから、「あ、あれがない」「これがない」ということになる。

 

 で、じっくりと眺めていると、「あ、これはまだいらんな」とか「蚊取り線香は毎回持って行くなぁ」とかと、いらないものまで買いそうになってしまうことが多い。それをセーブするのもたいへんだ。

 

 で、10時になったら、この、さぬき市図書館の寒川分館にやってきた。ここで、先日に借りた「長尾町史」ほかを返却しておいた。

 

 この、狛犬シリーズは、私が寄贈した私の本である。終活・・ということで、本棚にあったものをごっそりと、ここに持ってきたのだが、果たして、これを見る人がいるのかどうか。

 

 平日だからか、感染症対策だからか、館内に人は居ない。わずかに二人か三人の職員がいるばかり。

 

 で、次なる「防災シリーズ」のために本を借りてきたが、ほとんど役には立ちそうにない。私の場合は、アウトドア用の災害マニュアルみたいなものが欲しいかなぁと思ったことだった。家庭用の災害は適用しようにも使えない。

 

 朝ドラが終わった頃に、奥方から、「ご飯を仕掛けるのを忘れてきたの。おそうめんでもなんでも食べておいてちょうだい」という電話連絡が入った。言われなくても食事くらいは大丈夫だ。ということで、今日も「野菜サラダ・アイス・そうめん」。

 

 野菜サラダの下に敷いた氷が冷やしたおそうめんは冷たくて滑らかで艶やかでさっぱりとした。まわりも野菜ばっかりの食卓である。

 

 で、明日の午後には食材を買い込んでおいてから、15日の朝早くに家を出て、丸亀市の弟の家により、資材を積み込んで丸亀港へ。フェリーボートは9:35分出港の予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は長さじゃない 深さです 幅です」という金子大栄先生の言葉から。今年も先月の6月に誕生日が過ぎて、またひとつ歳を重ねた。気がつけば、もう、73才にもなっている。人は、新年を迎えたり、誕生日を迎えると「おめでとう」という。何が「めでたい」のだろうか。確かに、長寿はめでたいことに 違いない。しかし、必ず老いて、必ず死する身である。人として生きる、その限られた人生を、長さで測るだけではさみしいではないか。たとえ短い人生でも、その人ひとりとなって誕生した「いのち」の深さや幅に目覚めるところにこそ、お祝いされる命の「尊さ」があるように思う。長生きだけが人徳のように言われるけれど、その幅や深さにこそ、お祝いの言葉を掛けてあげたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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