1日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、上空の寒気や湿った空気の影響で雨や雷雨となる所がある見込みで、昼過ぎから夕方は激しく降る所があるらしいのだが、一向にそういう気配はまだない。香川県では、1日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼びかけている。気温は25.6度から33.4度、湿度は90%から70%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、湿った空気や日射の影響で、夕方から夜のはじめ頃に雨となる所がある見込みなんだとか。
105/62/79 35.9c-97% 61.8Kg 25.7c-76%-1002hPa 体調に全く変化はない。足のしびれもむくみもないし、おなかの張りもない。
今日は日曜日だし、さほど不急不要の用事もないし・・ということで、今日は昨日までの調査結果をまとめる作業をやっていた。二日もすれば、画像を見ても何がなんだか、どこの何だったかわからなくなってしまうというお年頃。
この二台のパソコンは連動しているので、左のPCの画面をコピーしてきて、右のマシンに貼り付けたり、その逆だって自由自在にできている。
そうして、白鳥神社から大坂峠を越えて金泉寺、極楽寺、霊山寺と回ってきた記録を整理していた。
こちらは先に調べておいた大窪寺~白鳥温泉経由与田寺道の整理である。
このブルーのラインが与田寺ルート、オレンジが白鳥ルートである。こういう作業を休みながらコーヒーを飲みながら、お茶を飲みながらやっていたという訳だ。
さて、毎年の話題になるが、今日、八月一日は父親の葬儀の日だった。昭和45年(1970)というから、今年で51回目、52周忌ということになるのだろうか。もっとになると思い込んでいたのだが。私が22歳、ワイシャツ姿の弟が20歳、その下の弟は18歳で就職試験に出掛けていて留守だった。
親父はまだ46歳という若さでの往生だった。あの日も暑い日ではあったが、扇風機が二台か三台が回っているだけで、今で言う「超過密」状態のお葬式だった。
あの頃はまだ、最近のような暑さではなかったように思う。半世紀もたてば気温もすっかりと上昇したのだろうか。
「今日はお父さんの命日よ。誰がお参りに来るかわからんから、しっかりとお留守番をしておいてね」と奥方は出て行ったが、50年もすれば親戚の多くがお浄土に旅立って誰もいなくなった。だから、誰一人としてお参りの客は来ない。
昨年は、私の身体の調子が良くなったので、パソコン用のデスクを一階から二階へ運んでくれた日。私が閻魔大王さまに追い返されてこの世に戻された日でもあった。だからなんだかんだと感慨深い日でもある。ちなみに過去帳には「八月二日」が命日となっている。その当たりの記憶は定かではない。
さて、今日もお昼はおそうめんである。普通のおそうめんでは物足りないので、そのあたりにあるものをみな盛り上げてみた。だから、栄養満点のパワー充填である。
今日もイワシの味噌煮のお出汁がよく効いてまろやかで甘辛くて、それでいてさっぱりとした味になった。
今日の掲示板はこれ。「叱られた日もなつかしや墓参り」というもの。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。「叱られた 恩を忘れず 墓参り」という古川柳があった。人は皆、沢山の人に叱られて年を重ねるのだという。父母、先生、先輩、上司そして世間の人からどれだけ多く叱られたことだろうか。およそ計り知ることことができないほどだ。そのときに腹が立ったり、悔しかったことを感じたことだった。そのおかげで今日こうして生かされていると思うと、叱られた恩は、今となるとありがたいご縁でああったと悟るのである。しかし、恩はたんに両親、師や先輩といったいわば、自分より上位の人から恵まれるだけではない。子どもや弟子や後輩など後の人から与えられる隠れた縁こそ、大きな恩であるのだという。漢字の恩は因と心の二字からなっています。即ち因を知る心という意味がある。どのような因と縁(かかわり合い)があって、そのものが存在できるのかと因と縁とを知り学ぶ心を表すのが恩という漢字らしい。私たちは、先祖があって、私が存在することを忘れないことが大事だという。そのためには、墓参りは、恩を再確認することなのかも知れない。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。