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Channel: まほろば自然博物館
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蓮咲いて蜘蛛の糸張る午後の庭

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 31日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。香川県では、31日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすうよう呼びかけている。気温は24.7度から33.8度、湿度は86%から66%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の8月1日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、湿った空気や日射の影響で昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 圧縮時106 解放時65 脈拍79 体温35.9c 酸素濃度97% 体重 60.4Kg 室温 23.3c 室内湿度73% 気圧計1002hPa 体調に変化はない。一昨夜の騒動が嘘のよう。陰嚢の出血は止まっている。

 

 今日も暑そうだけれど、涼しい間に夏休みの宿題を片付けておきたいものだと、7時半過ぎに我が家を出た。

 

 結願所(ゴールみたいなお寺)にお参りを済ませたら、普通はそこでおしまいになるはず。でも、そこからまたも歩き出して三番の金泉寺(こんせんじ)や一番の「霊山寺(りょうぜんじ)に向かうというのである。だが、多くのお遍路さんの旅はそこで終わってしまうか、この総奥の院とされる「与田寺」さんにお参りして記録が終わるか、

 

 「西のこんぴらさん」「東のしろとりさん」にお参りして記録が終わる。そこから昔は船で阿波や高松や京阪神に渡ったものらしい。でも、今はそんな船はない。お遍路さんはそこからどこに行ったのか・・・と考えてみた。この「しろとりさん」の前には昔の国道が走っていた。路線バスも走っていた。そんな子どもの頃の記憶を頼りに旧国道を走ってみた。

 

 これが「讃岐街道」と呼ばれた昔の道であったらしい。

 

 すると、やはり、こういう道標が立っている。中務茂兵衛の道標で165回目のお遍路をした祈念碑でもある。明治30年11月、53歳の時のもの。ここが昔の遍路道で会ったことを証明している。

 

 さらに町の中を進んだ交差点脇にも道標がある。ここでお遍路さんは方向変換ですよと教えている。お遍路さんは右ですよ。こんぴらさんへは左ですよ教えているわけだ。つまりは、昔の遍路道であったことがわかるわけだ。

 

 そうこうしていたらば、大坂峠までやってきた。ここからは遍路道と四国のみちとが自動車道(県道1号線)とは別ルートになり、何回か本道と交差する。

 

 このあたりだと、まだ遍路道と車道はなかよく並んでいる。

 

 不思議に思うのは、旧遍路道に合せて「四国のみち」が整備されたのか。たまたま同じようなルートになったのか。遍路道ばかりかというと全く見当外れの方へ行ったりするから複雑だ。

 

 この道標なんぞは新しい最近のものでる。昔の山道、遍路道はこうしたものだったらしい。

 

 で、四国のみちは、JR阿波大宮駅で終わる。上の図の少し上がった場所に「大阪峠御番所跡」というものがある。そこを探して行ってみた。

 

 普通の民家のようだが、ここが「大阪口番所跡」で、ここが関所になっていて、「入り邪宗門」「出百姓」を取り締まっていたという。阿波の国の百姓が逃げ出さないように見張りながら、キリシタンが入ってくるのを取り締まっていたらしい。

 

 これが「踏み絵石」で、これを踏ませてキリスタンかどうかを見定めたというが、これは何の絵じゃろうかと考え込んでしまうが、説明によると「宣教師」が十字架に拝礼している姿らしい。こんなもので本当に取り締まりができたのか、それともパフォーマンスだけだったのかも知れない。

 

 大坂峠の入り口に、「右 おおさかごへ 一ばん四り半 三ばんより逆に」「左 うたつごへ 一ばんへ三り余 大麻宮をへて」と刻まれている。大坂越えはわかるとしても、「うたつごへ」というのは始めて見る言葉である。調べてみたら、鳴門市の折野というところから「卯辰峠」を越えて大麻神社経由で一番さんに向かうコースらしい。それを逆にして戻って来た。こちらには遍路道らしい痕跡も道標もないし丁石もなかった。

 

 今日もまた、「スペシャルうどん」+野菜サラダである。つめたいうどんに冷たい出汁。そこへイワシの味噌煮、カニカマ、大根おろし、天かすをトッピングしたもの。

 

 これが暑い時には気持ちのいい味になる。それにパワーもつきそうだし。普通の「ぶっかけうどん用出汁」と「味噌煮」のタレが混じって甘くておいしかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「出発は足下からなのに ひとはすぐ頭で歩こうとする」という平野修先生のことば。私達はものごとを起こすとき、ああだこうだと理由やら事実を並べ上げてからでないと行動を起こしたがらない。よく言えば堅実型というか理論武装型というか。悪く言えば、単なる「あたまでっかち」なのかも知れない。本当に歩き出すのは足の筋肉からなのだが、そのことには気づいていなくて・・・頭が先に行動してしまう。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

  

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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