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盆支度破れた障子はそのままに

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 13日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎまで激しく降る所があった。気温は23.8度から26.5度、湿度は92%から84%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、引き続き湿った空気や前線の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夕方まで激しく降る所がある見込み。

 

 108/65/78 36.1c-98%-62.6Kg 25.1c-79%-1010hPa 体調に変化はない。身体が軽くて軽快だと思ったが、体重計に乗ると増えている。脂肪だろうか水分だろうか・・・。

 

 我が家は浄土真宗だから、お盆だと言っても特に何の準備も行事もしなかった。私が子どもの頃にはマダケを切ってきて、それで「花立て」を十数組も作らされて、それを持って各地にあったお墓を回ってお花を挿したものだが、いつの頃からか、そういう習慣もなくなった。

 

 今朝も朝から雨である。晴れていたら、家の周囲の草刈りやら掃き掃除やらをやるものだったけれど、雨では仕方があるまい。

 

 で、小雨が降る中、お墓に行って来た。ご覧の通り、山からの落葉や枯れ木や倒れた竹くずなんぞが溜って盛り上がっている。私は、お花だけでもと、お花とお水と剪定ばさみしか持ってきてはいない。

 

 雨で山から枯れ木や落葉が流れてきたものか、イノシシが暴れて落としてきたものか、うんざりとするほどの枯れ木や落葉である。それを指と手で少しずつ片付けてきた。草も指で引きちぎってきた。

 

 すると、こんなものが出てきた。ミミズである。それも普通のミミズではない。このあたりでは「カンタロウ・ミミズ」という。人名らしいが発見者なのか何なのかはわからない。

 

 正式名称は「シーボルトミミズ」。シーボルトミミズは主に西日本でよく見られる、日本固有種のミミズで、大きさは20cm~30cm、大きいものだと40cmを超える個体もいる。40cmのミミズって、もうそれ完全にモンスター。ミミズと言うと一般的にピンクや茶褐色をしているイメージがあるが、シーボルトミミズは濃紺色をしており、それが角度によってはメタリックカラーで七色に変化する。ちょっと視界の隅に入っただけだとヘビと勘違いしてしまいそうである。これが高知の遍路道にはグニャグニャと這いずり回っていると逃げ出してしまいそうになる。

 

 で、一応、形ばかりにお掃除をしてお花をお供えしてきた。左右のお花の角度が違うみたいだが、そういうことにはこだわらない。さっきのミミズは逃げてしまったようだ。

 

 で、雨で濡れてしまった衣服を着替えてひと休みしながら、「よそさまは、どういうお盆をするのだろうか」と調べてみた。すると、こんなものがあった。子どもの頃には、たなばたさまのお飾りに作ったような記憶があるが、あれはお盆のお飾りだったんだろうか。

 

 そこで、冷蔵庫の中から奥方の作った野菜を探してきた。しろうとが作った野菜はこんなものだ。でも、ナスの牛だかブタだかわからんようなものができたけど、誰も来ないお盆だからいいとしておこう。

 

 今日は肌寒いように感じたものだから、温かい天ぷらうどんにしてみた。シラスや梅干しも載せてみた。下の白いものは大根おろし。そうこうしていたら冷めてしまった。

 

 天ぷらや天かすがおつゆを吸ってしまって、温かいおうどんが温くなってしまって、イマイチのおうどんになって、これはペケだった。

 

 お仏壇の準備もできたし、ほかにご用もないし、お昼からはお昼寝だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「私が私になるために 人生の失敗も必要でした。私がわたしになれたのは みんなあなたのおかげです 恩人たちに手を合わせ ありがとうございましたとひとりごと」というもの。中村久子さんならではのことばである。正確には、こういう言葉らしい。「私が私になるために 人生の失敗も必要でした 無駄な苦心も骨折りも 悲しみもみんな必要でした わたしがわたしになれた今 すべてはあなたのおかげです 恩人たちに手を合わせ ありがとうございますと ひとりごと」というもの。ここでは「中村久子さん」の歌とされているが、一方では、「をさはるみ(本名・長田智龍(ながた・ちりゅう)。鯖江市本町の真宗誠照寺派本山・誠照寺の関係者。生年月日は1906年2月24日、没年は不明)」さんというお坊さんの詩ということになっていた。「私が私になるため」に、あの時の苦しみも、あの時の悲しみも、何もかも必要だったと詩の作者は言っているのだが、まさしくこれはお念仏の教えに出遭った人の詩だと思えるのである。こうして「私が私になる」ことによって、「私は私でよかったなぁ」と、心の底からうなづくことができるようになる。それはまた、他人と比較する必要がなくなったということを意味している。この他者と比較しないという人生ほど私たちの心に安らぎを与えるものはないだろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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