29日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は23.4度から29.2度、湿度は70%から78%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、湿った空気や気圧の谷の影響で概ね曇る見込み。
101/57/79 36.1c-98%-63.4Kg 24.5c-70%-1014hPa 体調に変化はないが健康体ではない。今朝も身体が異様に重い。
じっとしていればなんでもないし、普通のことができるのだが、少し動けばゼーゼーハーハーというようになる。
そういう中で、奥方がまたも揚水ポンプが動かないという。昨日、奥方がホースを引っ張ったら軽く上がったというのだが、もしかしてホースが抜けたかも知れないという。欲張ってホースを引っ張ったに違いない。
私が見る限り、ホースが抜けたとも思えない。そこで奥方が、このブロックを下りてポンプを調べることになった。
奥方も右足を引きずりながらハシゴを下りてゆく。そこまでせんでもいいと思うのだが、野菜が第一、第二が水道代。「野菜は買えば高いのよ!」「水道代も高いのよ!」と言い続けている。だから、そのためには命がけである。
で、水中ポンプの位置を水量の多い場所に移動させてみた。ホースを引っ張ったためにポンプが水のない場所に移動したみたい。
おかげでホースは丸々と肥えて元気に水を飲み込んで来る。
野菜畑も見る見るうちに水で満たされてきた。やれやれである。
その後、私は市役所へ出掛けて行って「医療費」の請求手続きである。戻ってくるのはわずかだが、手続きをしなければ受け取れない。
市役所というと、大勢の人で混雑した物だが、今日は駐車場もからっぽだし、庁舎内にも人影がなかった。
職員はちゃんとお仕事をしているのだが、開店休業みたいな雰囲気。みなさん、おでかけを自粛しとるんかいな。
今日のお昼は「おみぃさん」になった。これは讃岐の東部から徳島方面の「阿波弁」かと思っていたが、全国的に「おみぃさん」が食べられているのだとか。私が聞いたところでは、江戸時代に吉野川の流域は藍の産地として栄えていたが、藍を収穫後、裏作として麦やダイコンも栽培されていた。当時はお米は大変貴重だったので、わずかなお米に身近にあるダイコンや里芋などを入れて、分量を増やして味噌味で煮込んだものである。冬場にはもってこいの郷土料理で、「おみいさん」を食べると体が温かくなり、また、ビタミンやカルシウム、食物繊維がたっぷりの野菜やタンパク質を含んだ味噌やダシをとった後の煮干しも入っており、栄養たっぷりの料理であるということだった。
今日の掲示板はこれ。「命には必ず終わりがある。病気に負けたんじゃない。俺の寿命を生ききったというこだ」という大島康徳さんの言葉からで、宝円寺さんの掲示板からである。
プロ野球の中日で活躍し、日本ハムの監督も務めた野球評論家の大島康徳さんが令和3年6月30日に大腸がんのため死去したことが報じられた5日、妻・奈保美さんが、大島さんのブログを更新。今年の春ごろに記したという大島さんの言葉をファンに届けた。タイトルは「この命を生きる」とした。以下、ブログの投稿内容。
「この先の人生何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど 特別なことは何も浮かばない(笑) 高校を卒業してプロ野球選手としての人生をスタートし この年になるまで 野球一筋、野球人として生きることができた。皆様のおかげです。どうもありがとう。そりゃ辛いこともあったけど それ以上にこの世界にいなければ 得ることができなかったであろう ファンの方からの声援や感動や喜びをたくさんいただいた。貴重な経験もたくさんさせて頂いた。よき先輩、よき後輩 よき仲間、よき家族に恵まれ 美味しいものをよく食べて旨い酒をよく呑んで 大いに語らい 大いに笑い 楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。楽しかったなぁ…これ以上何を望む? もう何もないよ。幸せな人生だった。
命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命。病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで 俺はいつも通りに 普通に生きて 自分の人生を、命を しっかり生ききるよ 大島康徳」。
妻・奈保美さんは文末に「夫、大島康徳の言葉をお伝えさせて頂きました。(今年の春頃に記したものです)」と今春に大島さんが書いていたものだと説明し「また改めまして読者の皆様にご挨拶させて頂きます。少しお時間をいただくことになるかと存じますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」と呼び掛けた。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。