30日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが午後からは湿った空気の影響で曇ってきた。気温は23度から28.6度、湿度は84%から70%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の10月1日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で昼前まで曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。
109/63/78 36.3c-98%-63.4Kg 24.9c-66%-1012hPa 体調に変化はない。
観光ガイドのお仕事も一段落、10月には何の予定もない。そこで、自分史の内の小学生時代の思い出をまだ纏め続けている。一つを思い出すと次々と出てくるものだ。
それに今までに作った本の整理なんぞをやっている。でも、なんだかんだとしようのないものをまとめてきたものだ。
午前10時からお出かけ。奥方が来週10日からお仕事に復帰をするというので、ガス抜き兼栄養補給ということで、念願の「北灘漁協とれたて食堂」にやってきた。「JF北灘さかな市」に隣接する【とれたて食堂】は北灘漁業協同組合直送の旬の鮮魚を使った、定食・丼もの・一品ものが自慢のお店。『おまかせ定食』や『びっくり!穴子天丼』など、味・ボリューム共に大満足のメニューで旬の鮮魚をたっぷりと楽しめる。店内で紹介されている当日のオススメメニューも必見。その日の仕入れからイチオシをピックアップしているので、オーダーに迷ってしまったときにも安心というわけ。
私らが着いたときは11時前だったので、私ら夫婦が最初のお客。でも、続いて続々とやってくるので、すぐに店内はいっぱいになった。
こういうことだったので、私は「おまかせ定食」をお願いした。
これが、その「おまかせ定食」である。ありふれたものだなぁと思ったのだが、
このブリの刺身のでかいこと。厚くて長くて大きいのだ。だから二口でも食べられない。だから、いくら頑張っても上の四切れしか食べきれずに、奥方に三切れを食べてもらったが、奥方も「もう、けっこう!」という始末。刺身は「鯛」と「ブリ」を選べるというので「ブリ」にした。鯛の刺身は身がひきしまっていて食べにくい感じ(個人的な見解)。
奥方はあっさりと「ミックス定食」というものをお願いしたが、「こんなに食べたの久しぶり・・」というくらい、密度が濃いというか量が多いのだ。もちろん、夫婦の間にはシールド板が立てられている。
お店の横の水槽にはでかいタイが悠々と泳いでいる。別の水槽には80㌢もあろうかというヒラメも泳いでいた。鳴門の魚はでかいのだなぁと感心しながら眺めていた。そうそう、メバルの唐揚げたって、20㌢もあろうという大きなものだから、「食べきれないからやめといて」と奥方を制止したほど。あんなもの、二人で食べてもどうかなぁという大きさだもの。
食後に少しばかりドライブをしてきた。まだ、高速道路や大鳴門橋だの明石海峡大橋のなかった時代、神戸の奥方の実家に行くときには、こうしたルートを通って、鳴門からはフェリーボートで淡路島に渡り、そこからまたもフェリーで神戸に向かったもの。若かりし日々の懐かしい道路を走ってみた。
こういう島田島の風景とか、
鳴門教育大とかを眺めながら、元来た国道11号線を戻って来たことだった。奥方も懐かしい風景に昔の思い出をよみがえらせていたみたい。
今日の掲示板はこれ。「一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて われわれが与えたものである」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板からである。ジェラール・シャンドリ氏、たしか三浦綾子さんの『続・氷点』の中に、ジェラール・シャンドリの言葉として引用されていたが、さらに遡ると、フェデリコ・バルバロ著の『三分の黙想』(ドン・ボスコ社)1巻目「与えること」の最初に出てきている言葉なのである。「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか?この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を」というアウグストゥスの臨終の言葉があるが、自分と人生を一緒に過ごした人たちに、行動であったり、言葉であったり、その人達の励みになるような事とものを、なんらかの形として残せたらいいなと思う、今日この頃である。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。