26日の丸亀市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14.0度から17.4度、湿度は76%から40%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、上空の寒気や気圧の谷の影響で、昼前から夕方にかけて雷となる所がある見込み。
112/61/78 36.2c-98%-62.6Kg 22.7c-64%-1024hPa 体調に変化はない。
数字的にも問題はない。でも、お通じがよくなくて、なんだかおなかが張るようで息苦しいし、足がしびれるような感覚。利尿剤も飲んではいるが、便も尿も少ないような感じがするだけ。
昨日は、新しい給湯設備になってからの初めてのお風呂。オール電化の全自動・・だから、ウロにキョロが来るばかりで何が何だかわからんけれど、機械に任せておくしかないが、給湯温度が41度というのが「ぬるい」という感覚。でも、お年寄りにはそのくらいがいいらしい。でも、所詮、お風呂はお風呂である。手間暇がいらないというだけである。そんなに初風呂だからと言う感激も感慨もない。
一方、台所のIH調理器も、よく操作がわからない。私はペースメーカーを植えこんであるもので、IH調理機械には触れないことになっているが、そんなことを言うていたら生活ができない。やっかいな時代になったもんだ。で、ここに乗せられるお鍋やフライパンにも決まりがあって、いくら待っても過熱してくれない鍋もある。
IH工事費で935,000円にもなっている。ありがたいようなありがたくないような。ま、どちらも慣れるまでが大変だ。ま、島のガソリン屋さんもプロパンガス屋さんも高齢化で急ぐ間には合わないので、これしか方法はなかったのだし。
で、夕食はおでんとお刺身がメイン。弟はいきなりの日本酒から。私はやっぱりビールの喉越しがおいしいと思う。夕食は16時から18時くらいまで、飲んだり食べたり愚痴話やらバカ話やら昔話やら・・・。
18時過ぎからはカラオケタイムになったのだけれど、二人だけだから順番が来るのが早い。選曲してたら、すぐ歌う順番になる。一曲3分としても二人で1時間歌えば20曲。一人10曲ずつという単純計算。2時間にもなれば20曲ずつ。もう、喉が痛くなってくるばかり。
で、22時に寝たけれど、飲み過ぎたのか食べ過ぎたのかおなかがおかしくなって寝付けない。そこで安定剤を飲んでぐっすりと寝たが、起きたのは6時過ぎ。このケヤキの木もさっぱりとしてくれたし、
家の前の庭木も散髪をしてさっぱりとした。この切った枝や葉っぱは来年の春までここで乾燥させておく。当分は島にも帰れない。奥に見える山が、しわく広島の最高峰「しわく富士」の「王頭山(312m)」である。
朝から片付けばかりで、空き缶や空き瓶、燃えるゴミなどを自治会の集積場まで運んでおいた。残った食材はすべて持ち帰って奥方に食べてもらうことにした。フェリーは、8:35分発の丸亀港へは9:10分着。
さらば、ひろしま、また来るまでは・・・、しばし、別れの未練が残る。 刈った青草、木の枝盛って 背なで見ている王頭山~・・・。
帰宅途中で弟を家まで送り、その後、綾川町山田下にあるセルフうどん店「味覚苑」に寄ってみた。ここは朝の6時半から午後2時までの営業で、トラック運転手が多く立ち寄るお店である。店内は広く88席。社員食堂みたいな風景である。
で、今日は珍しく「かけの小」だけ。これで180円である。島で食べ過ぎたので、今日は控えめ。
今日の掲示板はこれ。「現在が続いて将来となる 現在を離れて将来はない」という清澤満之先生のお言葉から。清澤先生は文久3年、尾張藩に生まれた。東京帝国大学卒業後、明治21年、京都府尋常中学校の校長に赴任するが、辞任して禁欲自戒の生活に入った。明治25年、『宗教哲学骸骨』を刊行。宗門改革のために雑誌「教界時言」を発刊し一時僧籍を剥奪されるが、僧籍を回復し真宗大学初代学長に就任。明治 34年、雑誌「精神界」を発行。明治36年、愛知県で死去。享年41歳であった。
じゃぁ、また、明日、逢えたらいいね。