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あきらめもほどほどがいい年の暮れ

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 10日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で昼前まで曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7.0度から15.7度、湿度は86%から66%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 圧迫時116mmhg、解放時68mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c-酸素濃度99%-体重63.4Kg 室内気温14.1c-室内湿度43%-気圧1030hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:59分、日の入りは16:54分月齢は5.8の小潮。

 

 干し柿の話を奥方に話していたら、「そうそう、きなやにあったわねぇ」と奥方が言った。「木納屋」などと言う言葉はもう「死語」になっているのじゃないのかと思う。かまどや風呂木用のたきぎを保管しておく「納屋」だった。電化やガスの普及によって山からたきぎを集めてきて保管する必要がなくなってしまって久しい。

 

 ということで、今朝も4時半から起きだして、「自分史・昭和は輝いていた」続編の原稿を書いていた。もちろん、「木納屋」の話からである。太古の昔から戦後しばらくまでは「たきぎ」のお世話になった。暖房や照明や煮炊きなどに「たきぎの火」は不可欠なものだった。そいういうお話である。

 

 続いてむらまつりの話も書いた。明治になってからは各地に神社が作られて八百万の神々たちを崇敬するように政府が勧めた。だから、それぞれの自治会単位に郷社の末社・小社が作られた。私たちが住んでいた集落にも「はちまんさん」があって、秋には例大祭が行われて郷社の神官が神事にやってきていた。そこでは飲めや歌えや喧嘩三昧の大騒ぎになった。そういうお話である。

 

 朝ドラが終わってしばらくして、お仕事の「歳末助け合い運動」の配分金を持って高齢者宅を訪問する事業に出た。

 

 お役所から預かってきた「寸志」を、80歳以上のひとり暮らし家庭へお配りするのである。私の担当地区ではだんだんと減ってきて、今年は6世帯になった。高齢化はするのだが、なぜか、80歳以上は減ってゆくばかりである。亡くなるか、施設に入るか、息子さんちに引き取られるかしてゆく。

 

 寸志をお渡ししたら「受領書」にサインをお願いする。今年からは印鑑がいらなくなった。ちなみに、「印鑑」とはハンコを押した「印影」のことで、ハンコというのは、それを刻んだ本体を言う。だから、「印鑑をお持ちですか」というのはおかしくて、「ハンコをお持ちですか」というべきらしい。チコちゃんに教えてもらった。

 

 お仕事が終わったら、ガイドブックの余ったものを、私のガイドの先生にもお届けすることにした。私が最初にこのお寺でガイドした時の先生だった人で、今の私があるのはこの人のおかげ。

 

 生まれた子牛や子羊や子ザルは、すぐそばにいたものを親と認識するとかと聞いた。最初にエサをくれたものを親だと認識するらしい。人間の赤ん坊もそうだとも聞いた。私も、この先輩のガイドを聞かなかったらガイドにはならなかったと思う。そんな先輩である。

 

 で、郵送料をケチって、初冬の山道を走ってきた。車で移動するのはなんら問題はない。歩いていくとなると足が動かなくなって歩けなくなる。

 

 奥方が、「今日はどこかでおいしいものでも食べてきて頂戴」と朝早くから出かけて行った。おいしいものと言っても、そのおいしいものがない。下手にレストランなどに入ると食べ物アレルギーでたいへんなことになる。そこで無難なおうどん屋に行ってみた。いつもの「こがね製麵所寒川店」である。

 

 ここにだって「肉うどん」や「牛すじうどん」などと危険なものがメニューの半分もある。だから無難な「温玉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。320円だった。おいなりさん100円をプラスして420円。

 

 で、奥方が大喜びをする「お持ち帰りうどん玉」をゲットした。今日のはずしりと重い三玉から四玉分はあるだろうか。おうどんを茹であげてから30分以上のものはおいしくなくなるのでお客には出せない。そこで「犬の餌用にでも・・」みたいなことで「自由にお持ち帰りください」コーナーに置いてある。でも、いつでもあるとは限らない。何回行っても置いていない日もある。そちらの方が多いかも。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という安田理深先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。自分がどこまで知ってるかを認識していないと、自分では知ってる範囲が全てで、本当だと思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それがわからないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出なくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり見極める必要があると言うことだ。最近のフェイクニュースやネットに氾濫する情報が、果たして本当のものなのかどうか、そういうことを思い出しながら、ふと、振り返ってみたことであった。それが人権問題になるとしたら、もっともっと、慎重にならざるを得ないことなんだなと思ったことでもあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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