11日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は8.0度から17.8度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夕方は雨の降る所がある見込み。
圧迫時106mmhg、解放時66mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c-酸素濃度97%-体重63.6Kg 室内気温15.8c-室内湿度43%-気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:00分、日の入りは16:54分 月齢は6.8の小潮。
今朝も4時半起きで「自分史・昭和は輝いていた」続編を執筆(PCで入力するのを執筆というのか?)していた。小学生のお小遣い稼ぎの「ワラビ採り」。これくらいあれば20円くらいになった。だから、宿題なんぞそっちのけで山には行ってワラビを採った。「勉強は学校でして来い。家では仕事をするもんじゃ」と言うのだから、今のママさんたちが聞いたらどんな顔をするじゃろうか。
それに秋には「松茸採り」はものすごくお金になった。あの頃にはいくらでもマツタケが採れた。こどもでもそこいら中でマツタケを採った。学校の昼休み時間にも近くの山でマツタケが採れた。
お金にはならなかったが、タケノコ掘りも大事なお仕事だった。掘らないと、そこいら中が竹林になるので、出てきたら片っ端から掘って食べた。余ったものは県道脇に並べて「ご自由にお持ち帰りください」と紙に書いて張って並べた。まさに「昭和は輝いていた」のである。
こういう干し芋や吊るし柿の話も書いた。サツマイモ畑のことも書いた。稲の植えられない土地にはサツマイモを植えて植えて植えたものだった。これらが冬のおやつになった。
暖かくなれば、布団を干した。
今月には、この介護ベッドのレンタル屋さんがベッドほかの点検に来るというので、ベッドの下も掃除をしておいた。綿ぼこりと虫や蛾の死骸が溜っていた。
だから、10時前のおやつには、ミニどん兵衛のきつねうどんを食べてみた。おうどんではないのに、それなりの味になっている。へたなうどん屋さんよりもおいしいと思った。
で、あれこれとあって、お昼は今日も「おかゆ」になった。昨日、BSで、歌謡曲の番組を見ていたら、「おかゆ」という歌手がいたので、おかしくなった。歌手の「おかゆ」は、本名が「ゆか」なので中学校時代につけられたニックネームが「おかゆ」だったらしい。中学生のニックネームはそんなところだ。
硬いものはダメ、肉などの動物性の食べ物もダメ・・・となると、奥方も苦労するらしい。気持ちは若いが、年齢的にはすっかりと「おじいさん」だ。
昼過ぎに、トオル君がやってきたので、お歳暮を渡すように奥方に言われていたので荷物を見た。
殻付き生牡蠣やら、
生ガキやら、自然薯やら・・・
ダイコンやらカブなど盛りだくさん・・・。大サービスやな。
今日の掲示板はこれ。「熊はもう眠りました 栗鼠(りす)もうつらうつら 土も樹木も大きな休息に入りました ふっと思い出したように 声のない 子守唄 それは粉雪 ぼたん雪 師も走るなどと言って 人間だけが息つくひまなく動きまわり 忙しさとひきかえに 大切なものを ぽとぽとと落としてゆきます」という茨木のり子さんの「十二月のうた」という詩からである。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。私も大切なものを、ぽとぽとと落としているのだろうか。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。