22日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、湿った空気の影響でお昼から曇ってきた。気温は7.5度から13.0度、湿度は88%から68%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
収縮期110mmhg、拡張期68mmhg、脈拍78bpm、体温36.4c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温22.1c/室内湿度36%/気圧1019hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:06分、日の入りは16:58分 月齢は17.8の大潮。
今日は「冬至」。 12月に入るとすっかり日が短くなり、気づけば外が真っ暗になっていることがある。2021年は12月22日が「冬至(とうじ)」。一年で最も昼の時間が短くなる日のことである。上記のように、日の出は7:06分、日の入りは16:58分だから昼間の長さは9:52分で、夜の時間が14:08分ということになる。だから5:56分、つまり6時間も夜が長いと言うことになる。
これは昨日の夕食である。昼間に「こがね製麺所寒川店」でおうどんを食べて、そこでいただいてきた無料のおうどんを湯がいて夕食になった。「それは勘弁してよ~」とお願いしたが、「何を言うてるの。お坊さんでしょ、出されたものは食べなさい」とにらまれた。だいこんの入ったおでんとおうどん。冬至の日だったら喜ばれたのに。
この、おうどんの下に見えるグレーの怪獣みたいなものは「自然薯」をすりおろしたもの。我が家では皮付きのままですりおろすのでこんな色になっている。さすがに、これは半分ほどしか食べられなかった。いくらさぬき人でも、連日におうどんを食べて昼と夜と連チャンになると・・・。この味付けのりは「牡蠣しょうゆ味」のノリで広島のお寺さんからいただいたもの。
で、今日のお昼はおなかを休ませるために、「ところてん」と「梅おかゆ」にした。塩ジャケとキュウリのお漬物が入っている。
お昼からお墓に行って来た。うちのご先祖さんも「石の下にはおらぬぞ」ということで、お墓参りはしないので「ほっとけ様」になっている。でも、世間体があるので盆暮れにはお掃除をしている。我が家のお墓は山の中の木の下にあるので枯れ木や落葉がすごい。秋のお彼岸にお供えしたお花が枯れたまんまで残っている。
それを例のごとく、強力ブロアーで落葉・枯れ葉を吹き飛ばしてしまう。奥方が雑草が生えないようにと玉砂利を敷き詰めたもので、掃除が難しいのだ。ホウキで掃けば玉砂利も掃いてしまう。熊手は敷石に引っかかって使えない。
で、シキミ(樒)をさしておいた。お正月用の松はまだ採っていない。来週あたりに松の枝探しに行こうかと、今日、下見はしてきたのだけれど。
ぞうきんなどでお掃除もすれば良かったのだけれど、お昼からは曇ってきて気温がぐんぐんと下がってきたので、用心をして早めに戻って来てしまった。
午後からは「すす払い」をしようと思っていたのだが、気温が下がってきたので風邪をひいては致命傷になると思ってやめにした。まだ、年末までには時間があるのだし。
で、午後からは、自分史「昭和は輝いていた」の執筆をやっていた。これは「カラウス:唐臼」というもの。麦やお米を搗く道具である。こういうものを夜なべで踏まされた記憶が残っている。シーソーみたいなもので、奥の方で竿を足で体重をかけて踏み込むと、こちら側が上がって、足を放すと重みで杵が落ちて精米した。
これは「ミノ(蓑)カサ(笠)」である。私はこんな姿をしたことはないが、物置に、これが掛けてあった。稲のワラを編んで作った雨具である。笠は、竹の骨組みに竹の皮を編み付けてあった。時代劇に出てくるような姿だが、こんなものが昭和の前期、太平洋戦争ごろまで使われていたのだと思った。だとすれば、戦後は大きく文化が変わったのだなぁと実感した。
今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、ここで言う「迷い」とは、「こうに違いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思いこむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはできないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。SNSを見ていると、そういう思い込みが激しいなぁと思うことである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。