27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.5度から13.7度、湿度は68%から38%、風は1mから7mの西南西の風が一時は強かった。乾燥注意報が発令中。明日の28日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
収縮期110mhg、拡張期59mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重65.8Kg 室内気温19.4c/室内湿度34%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:36分、日の入りは17:58分 月齢は25.9の中潮。
明日で2月もおしまい。だから、私の行事予定表に4月分を追加する作業をやっていた。このホームページはほとんど誰も見る人もいないのだが、惰性と言うか、やり始めたらやめるわけにもいかないということで。
明日の命がわからんという毎日なのに、早くも4月の行事予定表を作っている。でも、まるきり明日が見えないのでは、どちらに向いて生きて行けばいいというのか。せめて、来月あたりの方向性だけでも決めておかないと・・・ということだ。
今日は暖かくなるということだったのだが、午前中は曇っていて西南西の風が強く吹いていて、散歩の予定もやまってしまった。それに、相変わらず、おなかが重たくて張るような気がする。だから、今日もデスクワーク三昧。
こんな日は、どこかに出かけようかと思っても行きたい場所がない。人混みはいやだし、歩くのもいやだし、珍しい場所もないし、まだまだ桜には早いし・・・。それに感染症の猛威は減ることがない。少し前には「引きこもり」という言葉が流行ったが、最近は「閉じこもり」になっている。
この私の「風土記」に、我が町の子供のころの「商店街」をまとめようと地図を用意してみたが、50年も60年も過ぎてしまったら地形もお店も変わってしまっていて手が付けられない。
このマップを移動させてみたら、我が家とガレージの位置が見て取れる。ということは比較的あたらしい地図だということがわかる。そういう地図には昔の商店街など浮かんでは来ない。これまた頓挫。
2月も終わり、3月になるので、日の出日の入り時刻時刻表も新しくした。これで、ブログの頭にある日の出、日の入りの時間表の素になっている。
一方、こちらが月齢表である。こういうデーターと夕方のNHKの気象情報の最後に放送される時間表と突き合わせて確認している。
今日、待ちに待った園芸屋さんが下見に来た。奥方のバラ園を作るための打ち合わせをしたいと来てくれたのだが、奥方がいないのでは話にならないというので、再度、奥方の打ち合わせをするということになった。
今日のお昼はカレーうどんになった。カレーうどんらしくない見栄えだが、中にはしっかりとおうどんが入っている。最近はどうにもお米が食べにくいもので、どうしても麺類になってしまう。多分に横着なのだ。
おうどんはさぬきうどんである。昨夜は鶏肉すき焼きに富山の氷見うどんを入れて食べたおで、今日は讃岐うどんにしてみた。それに野菜サラダつきである。
今日の掲示板はこれ。「ふりつもる み雪にたへていろかえぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」という昭和天皇のお歌から。国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏。わが国の姿であったそうで、食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた、初めての、そして、最も深い断絶であり、試練であったという。そのころのことを、亡き昭和天皇は、このように歌にしておられた。「ふりつもるみ雪にたえていろかえぬ松ぞををしき人もかくあれ」。雪は、静謐のなか、ただしんしんと降り積もる。松の枝は、雪の重みに、いましもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに、緑の色を留めている。わたしたちもまた、そのようでありたいものだという御製である。昭和21年の正月、日本国民の多くが、飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていた時に、詠まれたものであるという。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。