26日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は1.0度から11.7度、湿度は84%から46%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で朝にかけて曇る見込みで、昼前からは高気圧に覆われて晴れるらしい。
収縮期99mmhg、拡張期58mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c/酸素濃度99%/体重65.8Kg 室内気温18.0c/室内湿度34%/気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:37分、日の入りは17:57分 月齢は24.9の長潮。
今朝も大霜の冷たい朝になった。今日は土曜日だから生ゴミ出しの日だったもので、早朝からゴミ袋を積んで回収場へ運んでおいた。さすがに今日は冷たくて手が凍えそうになった感じ。
ガレージの横の芝生広場は久々に見る「霜柱」の畑みたいになっている。霜柱なんぞ、もう、何十年も見たことがなかったのに、我が家のすぐそばにあるなんて・・・。
1936(昭和11)年のこの日、2.26(にぃにぃろく)事件が発生した。陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃した。内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠された。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、29日に鎮圧を開始した。飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけるラジオ放送を行った。形勢が不利になったと判断した将校たちは兵を原隊に帰し、2名が自決、残りの者が自首して、その日のうちに鎮定された。86年も昔の話であるが、青年将校たちのクーデーター未遂事件だった。
今日は大霜の降った日中は12度近くにもなり、春の陽射しのようになった。
ふと、気がつけば、チューリップの葉っぱがこんなにも伸び出してきている。寒い寒いと閉じこもりをやっていると、春の足音さえも聞こえない。
奥方は今日がお休みで、暇さえあれば畑仕事をやっている。で、野菜用の肥料が欲しいと言うので運転手役で着いていくことにした。途中、郵便局に寄りぃの、銀行に寄りぃのと体よくこき使われてしまった。
「じゃぁ、ついでにおうどんでも・・・」と、奥方の大好きな「うどん亭いわせ」という一般店に連れて行った。ハンドルを持っている強みである。最近はお安いセルフのお店ばかりだったので、たまにはお値段のするおうどんもいいじゃないか・・・と。
で、今の季節の「しっぽくうどん」を注文したらば、「あいにくと今日は品切れです」というので、この「鍋焼きうどん」を注文した。
奥方はいつだって、どこだって「かけうどん」である。これでも、430円もするのである。セルフのお店の2倍ほど。「これがおうどんなの」と奥方は言うが、讃岐人のほとんどがそう言うらしい。「かけ大」というのが讃岐人の「ステータス」みたいなものらしい。
で、やってきたのが、これ。「鍋焼きうどん」の1320円。いかにも寒い時期のおうどんらしいではないか。
すると奥方が、「あ、牛肉はダメよ。私によこしなさい」と、牛肉の全て、かけらも細切れまでもを食べられてしまった。少しの牛肉でもじんましんが出て救急搬送されるのだから仕方がない。その後、野菜の肥やしなんぞを買って帰宅した。
今日の掲示板はこれ。「大事なものが手に入らないのは 要らないものをもちすぎているからです」と云うもの。これは「中野良俊」さんの言葉らしい。服は捨てなければたまってしまうと分かりつつも、もったいなくて捨てられないのが実状である。さまざまな執着心をふり捨てて、「もちすぎている要らないもの」を、この春すっきり捨てたいものである。生活用品には「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」が判断できるのだが、自分自身の生き方に於いて、人間として生きる上で「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」とは一体なんだろうか。その事を教えてくださるのが仏教であるのだろう。「私の人生でしがみついている要らないものは何だろうか、本当に大事なものに出会ってきたのかな」と、捨てられないものと向き合いながら、断捨離をしてみるのも、面白いものがあるかもしれない。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。