15日のさぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるというのだが、そんな気配はない。気温は13.5度から19.5度、湿度は84%から48%、風は0mから1mの南風が少しばかり。明日の16日のさぬき市は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。
収縮期108mmhg、拡張期63mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重61.6Kg 室内気温18.9c/室内湿度62.8%/気圧1013hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:02分、日の入りは18:59分 月齢は14.3の中潮。
ようやくに、61.6kgまでに落ちたけれど、油断をすればすぐに62Kg、63Kgと跳ね上がるから要注意。毎日、何十グラムかの戦いになっている。ドクターは56Kgまで落とせというのだが、それはアルプスに登れというのにも等しいと思う昨今。
我が家の畑にある木である。何かの花が咲くのだけれど、どんな花が咲いたのかは記憶にない。多分、奥方が植えたのだろうと思うのだが、これがモコモコとしてきて、二階のベランダからはサルの番をするのに邪魔になる。そこで、剪定道具を携えて、これを散髪することにした。
で、30分ほどでこざっぱりとした。もう少し切りたかったのだが、腕が、指が疲れてきてやめにした。
紫木蓮の木らしいが、花が終わったから散髪しておいたが、きっと叱られるのに決まっている。花の咲く木や草を刈ったら大目玉をくうのだ。でも、伸び放題は私が気持ちが悪い。
で、前々から気になっている場所がある。こういう建物が東かがわ市の払川という集落にある。長野集落との境目あたりになるのだろうか。その昔には「四つ足堂」という、柱と屋根だけの建物で、床が張ってあって、ここでお接待をしたり、お遍路さんが休んだり泊まったりしていたそうな。そのころは二間四方というから4m四方くらいの大きさだったらしい。今は過疎化と利用する人も減ったので、建て替えのたんびに小さくなったようだ。
午頭天王(ごずてんのう)の石碑である。午頭天王は、本来はインド祇園精舎の守護神だが、わが国では祇園社(京都市東山区の八坂神社)に祭られ、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に同一視されている。それが、どうしてここにまつられているのかを知る人はいなくなった。ここに、先の「四つ足堂」があったらしいが、道路の開通や改修工事で道路脇に下ろされたらしい。
で、ふと、目を凝らすと・・・。
そこはパンドラの箱ならぬ、遍路墓の一大集積場。ざっと見回しただけで十数基のお墓がある。今日は、そんなつもりじゃなかったので、メモ用紙もペンもライトも持ってきてはいない。今日は下見ということで写真だけを撮って帰ることにした。昔は、ここが「四つ足峠」と呼ばれていて、四つ足堂があって、盆踊りなんぞもやったらしい。その峠道に沿って、累々とお墓が並んでいる・・・。
で、帰ろうとして、ふと引き留めるように犬が鳴いた。「犬・・・・?」と、振り返ったとき、そこに峠に向かう旧へんろ道が見えた。画像下中央に石仏が二つ。一つは「二十一丁」の丁石であり、もう一つは道標で、旧遍路道を示す石碑だった。
その旧へんろ道沿いにも累々として遍路墓・・・。「遍路墓学事始」という本は最終段階に来ているのに、ここだけで20数基の遍路墓が追加される・・・。呆然と言うか唖然というか、「またかよ・・・」という落胆みたいな気持ち。
さらに、追い打ちをかけるように、30丁石付近の道路の上にある遍路墓・・・。その数、十数基。いままでまとめたものが振り出しに戻ってしまう。
今日のお昼も「TKG」。納豆ともずくの卵かけご飯。それに奥方作の「ポテトサラダ」。明日の調査のためにパワーをつけておきたいものだけれど。
今日の掲示板はこれ。「人生は曲がりながら折れながら だが まっすぐにひたすらに」というもの。鉄道の線路も高速道路も、トンネルも地下鉄も、進路は曲がりながら折れながら、それでも方向としてはまっすぐにひたすらに走り続けていくように、私たちの人生もまた、曲がりながら折れながら、だが、まっすぐにひたすらに走り続けてゆきたいものである。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。