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Channel: まほろば自然博物館
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ブラシの木蝶がついばむ月曜日

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 17日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、高気圧に覆われるため昼過ぎからは晴れてきた。気温は15度から22.8度、湿度は80%から54%、風は2mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期110mmhg、拡張期67mmhg、脈拍80bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重62.9Kg 室内気温18.1c/室内湿度62.2%/気圧1015hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:01分、日の入りは19:00分 月齢は16.3の大潮。

 

 朝の間、4:30-7:30には「遍路墓学」の文章の構成やら印刷テストやらをやっていた。で、8:00から9:00までは裏庭の草刈りである。こういうと元気そうに聞こえるけれど、足下はおぼつかいし、重いものは持てないし、機械の草刈り機は使えないから鎌で草をなぎ払うしかない。

 

 でも、30cm、50cmずつと丹念に草をなぎ払っていると、見た目はきれいになったように見える。ピンピンと立っている草がなくなるとさっぱりしたように見えてくる。実際は背の低い草は倒れた振りをしているので、しばらくすると起き上がってきて元通りの草ぼうぼうになってくる始末。

 

 すると早速にピンポーンとお荷物が来た。例のアイホンのリフレッシュ端末である。契約時に保険だか補償だかに加入しているので、壊れた場合は、こういう新しい端末と交換してくれるらしい。

 

 だから、同じ機種の同じ色の端末らしい。私は、この新しい端末に、古い私のアイホンからSIMを取り出して、それを新端末に指し込めば、それでOKだと思っていた。で、あとは、自分でアプリをどんどんとインストールすればいいものだと思っていた訳だ。

 

 だから、電子血圧計やら電子体重計やら電子体温計なんぞの資料を探し出してきておいた。この二次元コードがないとインストールできないからだ。「捨てたんやろか・・・」などと、そこいら中を探し回って見つけ出してきたものだ。

 

 それにスマートウォッチだって、三個も四個も出てきたではないか。買ってもスマホがなければどうにもならない端末だってあった訳で・・・。

 

 ところが・・・である。「古い端末(私の使っていたもの)は初期化して送り返すこと」という注意書きがある。そら、そうだ。個人情報なんぞは消さないとまずいわなぁ・・と作業を始めたら・・・。

 

 私の古いデーターを、この、iCloud というアップル社のクラウドに送って、データを仮保管するのだそうで、これが動き出すと・・・4時間ほどたってもまだ終わらない。じゃぁ、そのデータを新端末にバックアップすると、またまた、何時間も必要になるってことか・・・。

 

 そういう作業には、iCloud のIDとパスワードを入力せよというので、大慌てで、そういうIDを探し出してきたり、端末のコードを入れろとか・・・と煩わしいことばかり。「あなたの自己責任ですから」ということで、時間ばかりが過ぎていく。

 

 いつになったら、このSIMカードを交換して返送できるのだろうか・・・・。その間は何も手につかないではないか。「往生しまっせ~~」。

 

 今日のお昼も懲りずに「TKG」。しらすご飯の玉子かけ。今日はシンプルに「往生しまっせ~~卵かけご飯」と命名した。何の根拠もないけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「無いもんを星が欲しがらんであるもんで喜ばしてもらおうよのう」という河村とし子さんの「おばあさんのひとりごと」から。河村とし子さんは、元々非常にキリスト教の信仰が厚い家庭で育てられたのだが、戦前恋愛結婚したご主人の実家の山口県の随分辺鄙な田舎に疎開で住むことになり、そこの義理の両親と一緒に暮らすことになった。はじめ、このような田舎の大きな仏壇がある家に住むようになって、さぞかし皆ここの人は迷信深い程度の低い宗教に親しんでおられると思い、自分は熱心にそのご両親に毎日キリスト教を説いて聞かせたそうだ。でも、この両親は熱心な真宗門徒で、お寺で法話会があればいそいそと出かけて居眠り一つせずにお聴聞したそうな。そのおばあさんは、よく独り言をおっしゃっていたそうだ。「人間ちゅうもんは、自分しかかわゆうないもんじゃげのー。そういうもんが一緒に暮らすというのは有り難いことよのー」と。また、「ないもんを欲しがらんで、あるもんを喜ばしてもらおうよのー」と、つまりあれが欲しい、この人はこうあって欲しいと、自分の外側のものに対してあくまでも欲求し、そしてそれがままならずに怒り苦しむようになる自分に対して、今すでに頂いているものの功徳の大きさに目覚めて、自分が今こうしてあるというご恩、お蔭を喜んでくれよー、と自分にいつも仏様の智慧・慈悲を味わいつつ暮らしていかれたのだろう。河村とし子さんは、特にこの義母ふでさんと一緒に暮らしている間に、思わず知らず深き念仏者となられ、ある年の 1 月にお亡くなりになったそうな。著作も沢山あり、東本願寺からは「ほんとうのしあわせ 仏縁に恵まれて真の人生」という小冊子が出版されているのだとか。自我を主張して止まない現代の世相に、お伝えし続けたいお話である。合掌

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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