23日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れてはいたが、大気の状態が不安定となるため、夕方まで雨や雷雨となる所がある見込み。明日の24日は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。
先日、香川医大付属病院のCCU(集中管理室)にいた時のことである。急患で90才くらいのおばあさんが運び込まれてきて、私の隣のベッドに寝かされた。仕切りはカーテンだけである。「おばあさん、痛いところはああるんかいの」という若いドクターに「おつべが痛い・・・」を繰り返すが、若い医者はわからない。「おばあさん、おつべというのは頭ですか、おなかですか」と言っている。
「おつべいうたらおつべじゃが!」を繰り返している。私はおかしくて大笑いしたかったが、こちらも重病人である。黙っていると「おいどじゃが、おいど!」というので医局は大混乱になった。これはただならぬ気配だと悟ったおばあさんが「尻じゃ、尻じゃ」で混乱は静まって大笑いになった。古いさぬき弁では、「尻」を「おつべ」」とか「おいど」」とか言ったものだった。多分、京の都人のことばだとか聞いたことがある。
わたしも長いこと寝ていると、「おいどが痛くてたまらんようになってくる」。さて、私のベッドサイドには、このような酸素吸引機が用意されていて、暇さえあれば酸素を吸っている。
近くには、こうした酸素ボンベや移動用タンクがおかれている。つまりは「臨戦態勢」にあるということらしいう。
さて、これが私の母の「繰り出し位牌」である。なかなかに、こうした文字は書けぬものだ。
ということで、私の法名軸の原稿を考えてみたが、カッコつけすぎである。「釈暁光法師」だけでいいなと思った。
今日は孫の「なぎ」ちゃんがお見舞いに来てくれた。で、学校で練習中の童謡の演奏を弾いてきかせてくれた。保育士志望とのことだった。「カーラスなぜなくの カラスカラスからす・・・」と前には進まないのがかわゆいではないか。
10時からはケアマネさんが登場。7月分の介護計画の策定だった。
だんだんと文章も現実味を帯びてくる。ま、いつ、その時が来ても慌てないようにだけはしておかねば・・・。
だんだんと、お見舞いの品物がとどくようになってきた。私が子供のころには、桃やパイナップルの缶詰が当たり前だったような気がしたが、高知の温室ミカンとか熊本のスイカ、千葉からは桃が届くらしい。いや、別に催促をしとるわけではないぞ。
辞世の歌の清書もしておいた。
今日は蒸し暑いので、徳島の「オカベの麺」」という半田そうめんを食べてみた。冷やっこくておいしかった。
今日の掲示板はこれ。「朝の来ない夜はなく 乾かない涙もありません」という、やなせたかしさんのことばから。似たようなことばはいくらもある。「上がらぬ雨はなく、止まらぬ風もない」、山よりでっかい獅子は出ん・・。春の来ない冬もない・・・。でも、不幸の絶えない世界は続くし、悲しみの絶えない社会は止まらない。だからと言って打ちひしがれてもいられない。今が不幸のどん底だと思っても、やがてには、そんな悲しみや苦しさなんて忘れてしまえる日がやってくる。こんなに悲しくて仕方がないのにと泣き崩れていても、そんな日々があったことさえ忘れてしまえる日がやってくる。生きてさえいれば、やがてにはどうにかなってしまうもの。「この世で起きたことは、この世で片付いてしまう」。そう考えて、前を向いて歩いて行こう。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。