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Channel: まほろば自然博物館
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肩の荷を 下ろす霜月 暮れにけり

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しわく広島地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側では雲が広がり、山地を中心に雨や雪の降っている所があったとか。気温は8度から10度と気温が上がらない。湿度は78%から60%。風は4mから7mの西南西の風。明日の30日は、高気圧に覆われるため、概ね晴れるとのこと。

 

 講演会は午後からなので、朝の間は集落内を歩いてみた。朝方は空気は冷たかったが、気持ちの良い朝になっていた。

 

 「江の浦」という集落を1時間ほど歩いてみたが、人っ子一人として出会わない。車にも自転車にも出会わない。犬も猫もいない。まるで無人島にでも来たような感覚。でも、300人ほどは住んでいる筈・・・。

 

 高齢者は次々とお浄土に帰って行くし、若者は丸亀や坂出の町に出てしまうし。島の活性化をやろうにもどうにもならん・・と、昨日の高速艇の中で話し合ったことだった。しかしのかかし、島の女性たちは意気盛んで、「島案内人」プロジェクトを立ち上げてお勉強中だとか。

 

 島恒例の「月見カレーうどん」。朝ご飯をしっかりと食べて、11時からこのカレーうどんにご飯をすこし食べたらおなかが満腹になって・・・。ズボンのベルトが合わなくなって困った。

 

 広島コミュニティーセンターというのか、丸亀市役所広島支所というのか、広島公民館というのか、ともかく、ここで今日のお勉強会が開かれる。

 

 私は会場設営と機器接続のために12時過ぎにここにやってきた。

 

 講演会場はこんな感じ。座席はおよそ、30人分。資料もその数だけ作ってきた。

 

 講演時間は一席一時間。咸臨丸について、およそ40分。英国士官レキについて20分という時間配分。だから大急ぎの駆け足のお話になる。

 

 島案内人・・・ということだったから、女性が多いのだろうと思ったけれど、男性も案外と多い。

 

 お話は、なぜ、咸臨丸が作られたのか。なぜ、咸臨丸がアメリカに行くことになったのか。なぜ、塩飽の人たちが咸臨丸そのほかの船に乗ることになったのか。そして、咸臨丸はその後、どうなったのか・・。そして、咸臨丸に乗っていた、しわく広島の12人の水主(かこ)立ちはその後、どうなったのか・・というお話。

 

 そして、私たちが見つけた英国士官レイクのお話と後日談・・・・。ちょうど、一時間でまとめることができた。いつも、聞いてきた咸臨丸の姿や、レキの墓についての話も、ちょっと違った面からのお話は意外に好評だった様子。「へぇ〜・・・」というような反応。

 

 こういうお話は得意なんだが、どうにも法話の「本願」とか「安心」とかになると、話がうまくは流れてくれないので困る。それだけ、本願や安心や信心が身についていないのだろうね。

 

  今日の掲示板はこれ。「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」という森信三先生の言葉である。このあとに、「しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず。」という言葉が続く。

 

 森信三先生は、日本の哲学者、教育者で、「人生二度なし」の真理を根本信条とし、
「全一学」という学問を提唱した。自分から進んで求める心がなければ、目の前に出会うべき人がいても、関りは生まれない。自分の人生を決めるような、生涯の師と呼べるような人と人間は必ず逢えるが、自分から進んで探す心が大切だと言っているのである。待っていても、棚からぼた餅は落ちては来ないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えるといいね。


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