さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6度から14度、湿度は70%から50%。風は1Mから4mの西北西の風が少し。気持ちのいい小春日和の一日になった。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
連日の疲れからか、起きたのは午前7時。迷犬ごんの散歩やらゴミの片付け、洗濯物を干して朝食を食べて・・・我が家を出たのが08時10分。さぬき市役所に着いたのが08時45分。集合時間が08時50分だった。
今日は、「おへんろつかさ養成講座」の第五回目の講座で、今回はへんろみちを歩く実地講座。一昨日は、「島案内人養成講座」の講師だったが、今日は「おへんろつかさ養成講座」の受講生。
ふだん、車で通りすぎていると目にも触れない場所に、幾多の道標や丁石・へんろ墓があった。昔のへんろみちを歩かないとわからない発見だった。だから、普段には歩くことのないへんろ道を歩くことになった。
昔はお遍路さんのお墓があった場所も、新しいお墓が建てられて、へんろ墓は片隅に追いやられているお墓もあった。86番札所志度寺から87番札所長尾寺に至る間だけでも数十というお遍路さんのお墓があった。
こういう石仏や磨崖仏などが旧道や遍路道には幾つも幾つも残されていて、それを今も付近の住民たちが守り続けているという「へんろみち文化遺産」である。
長尾寺から88番札所に向かう山間部には、それこそ、多くの道標やら丁石やら遍路墓が点在する。ちなみに、「道標」というのは道しるべで、「大窪寺はこちら」という目印の石碑。「丁石」というのは、「大窪寺まで三十丁」という距離を知らせる石碑。ちなみに、「一丁(町)」は109m。
今日のお昼はここになった。さぬき市長尾にある「おへんろ交流プラザ」前での香川県飲食業協会さんのお接待による「まつたけうどん」・・・。
こういうおうどんをお接待でいただいた。おおきなまつたけが二枚も入っていた。
しかしのかかし、そういうお接待を頂いた後はたいへんな行程が待ち受けていた。こういう、昔ながらのへんろみちを歩くことになった。こういう山道は、昔の人がしっかりと歩いているので、崩れもせず、壊れもせず、きれいに残っている。それを壊しているのは、近代化による道路工事や堤防工事や河川工事であった。
江戸時代から明治・大正に至る時代。交通手段も発達しておらず、医療も食生活もままならぬ時代に、ここまで四国遍路にかけた情熱はどのようなものであったのか。まさに、いのちをかけた四国遍路であったと思い知らされた。
これは、名もなく、金もなく、そこに埋められた遍路の墓である。だから石碑もない。ただ、付近の住民が竹筒にしきみの葉をさして弔っている墓である。こういうお墓が、お遍路道沿いに累々と並んでいる。
運良く大枚のお金を持っていた人は立派な墓を建ててもらえた。または、通行手形から連絡を受けた家族が葬儀費用やらお墓の費用を出してくれた人はお墓が建てられた。何もない人は埋められて金剛杖が墓標になった。笠がお墓にかぶせられておしまいにもなった。
まさに、あの世の沙汰も金次第であったような気がする。もっと、悲惨な話も多く聞いた。
さぬきの国に住んで、子供の頃から見慣れた風景の中の、少し離れた場所に、こんなすさまじい場所があったのかと驚いたことだった。
今日の掲示板はこれ。「おかげさまといえる人生に孤独はない」というもの。「おかげさま」といえるきもちがあれば、「おかげさま」といえる人がいれば、全く、孤独な人生ではないではないか。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。