さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から10度、湿度は66%から44%。風は6mから5mの北西の風がときおり。明日の17日は、気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。
今日は母親のさっちゃんの一周忌法要の日だからということで、6時過ぎに起きた。いや、別に私まで早起きしなくてもいいのだけれど・・・。ご法事にお供えする「お仏飯」には、普通のご飯と赤飯との二種類が必要だということもあって。
法要は午前中で、師匠の「明海さん」、兄弟子の「弘昭さん」と私の三人で、浄土三部経のお勤め。
法要はお昼前に終わったが、肝心の写真がない・・・。まさか、私がカメラを向けるわけにもいかなくて・・・。
で、いきなりのお食事の写真・・・。法要の間、私は写真は撮れないし、こういう場合には、全く、カメラを構える余裕はない。
しかしのかかし、見渡せば、私よりも年上の人が二人か三人・・。だんだんとお酒を飲む人はいなくなったし・・・。女性陣は食べることに専念しているし、男性陣も「運転しているから・・」ということで、会話も少なくなってしまう。
だんだんと、ご法事もさみしくなってくるなぁと思うことだった。やはり、母の兄弟姉妹たちがいなくなってくると、その子供たちも縁遠くなって来るし・・・。叔父さん、おばさんたちが居なくなり、母のいとこたちも少なくなってきたし。「お酒が飲めない」とか、「お酒を飲むと運転できない」となると、どうしても、おまいりしたくてもできない人も出てくるし。「お香料」だけを送ってきて、それですませてしまう人も見かけるようになった。
お食事が終わって、送迎用のバスで我が家に戻って、少しばかり休憩すると、みんなはそれぞれに帰ってしまう。そりゃ、そうだ。明日は月曜日。みんなはそれぞれのお仕事があるのだから・・・。
私は着替えてお坊さんから普通の田舎のおじさんに戻って、お仏壇回りの片付け。お供えとかお荘厳とかを元に戻して・・・。お座布団とか椅子とかも・・・。
孫たちは雪と格闘して「かまくら」を作っていたが、時間切れで帰ってしまった。あとには、こわれたスコップやら大きな雪の塊やらが残される・・・。
「祭りの後のさみしさ・・・」みたいな空気が、残された私たち二人を包み込む。
ともかく、我が家を普通の状態に戻してしまってから、明日は県立病院での「予約診察日」。午後からは丸亀市の「塩飽広島」に帰る。二・三日は、打ち合わせやら会議が予定されている。二月の本山研修が終わったら、今度は「英国士官レキの墓研究家」、「しわく広島歴史研究家」に一時的に変身する。三月末までの大勝負。
大切な母親の一周忌を終えて、のんびりとする間もなく、明日からの島の生活の準備をしなくては・・・。
今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死する事実に向き合わず 逃げ回っている 我々の姿を無明という」と云うもの。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。