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Channel: まほろば自然博物館
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すぐそこに 梅の花あり 六地蔵

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 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、午後は雨の降る所があるようだった。気温は4度から9度、湿度は78%から56%。風は4mから3mの北西の風が少し。でも寒い一日になった。明日の15日は高気圧に覆われて概ね晴れるし、気温も上昇する見込みとか。

 

 まだまだ先だとばかり思っていた、「レキ報告会」まで五日しかなくなってきた。それでもまだ、満足できる結果になっていない。いつになっても完成までにはほど遠い。でも、そうも云ってはいられないので、二・三日中にはまとめなければいけないのだが・・・。

 

 と云うことで、今日もデスクワーク三昧。乾いた目玉がなおさら乾く・・・。目薬ばかりが痩せて行く・・・。

 

 外では雨が降ったりやんだりしながら、冷たい風が吹き流れていく。だから、今日は散歩にも行かず、朝夕の迷犬ごんの散歩のみ。お昼のおうどんも今日はなし。まるきりの引き籠もり状態。

 

 今日は日本側の、「水野和泉守忠精」・「水野千波」・「上野敬介」という人物を捜していたが、肝心のことが出て来ない。水野忠精はある程度の情報はあるが、忠精と千波は関係があるのかどうか。同じブラントンの周辺にいたのだが、同一人物なのか違う人なのか・・。上野敬介がまた、これ、わからない人だ。

 

 今朝方の2時6分だかに伊予灘を震源とする深度5強の地震があったらしい。確かに大きな横揺れだったし、時間も長かったように思う。けいこばぁは飛び起きてテレビを付けたり、廊下を歩き回っていたが、夜中に歩き回るのも危ないものだ。我がさぬき市では震度4とか云うていたが、そんな大きなことにもならなかったようだ。

 

 私はゆりかごみたいだなぁとのんびりと寝ていた。我が家にはタンスとかの家具が全くない。全くないと云うてもけいこばぁの嫁入り道具は屋根裏部屋にあって、人の居る場所にはないってこと。ま、テレビとかパソコンとかの幾らかのものはあるが、それらが飛んできたり倒れたりすることもなかったし、階下の台所の食器とかもなんともなかったようだった。

 

 我が家は8年前に新築した耐震建築の家だから、こわれたりすることはないと安心して寝ていた。慌てて行動するより、布団を被って寝ているほうが安心だわいとそのまま眠ってしまった。気が付いたら7時を大きく過ぎていた。朝のラジオ体操に間に合わなかった。

 

 朝のテレビでも、四国ではそんなに被害もなかったようだった。それだし、東南海地震の前触れでもないみたいで一安心。でも、比較的地震のすくない四国にしては大きな揺れだったかなぁとは思った。

 

 そうは云うても、ガラスが割れたり、食器が割れたりとすごい音が聞こえたら、そんなに呑気には寝ていられなかっただろうとは思う。ま、単に大きく揺れただけ・・・ということだから、ぐっすりと寝ていられたのだろうとは思う。携帯電話やタブレット端末も別室にあったから、「エリアメール」が鳴り響いても聞こえなかったのかも。

 

 ま、そういうことで、我が家は何もなくて通常の一日になった。当たり前がありがたい・・ということだ。

 

 午後からはプロジェクターや、接続コードの点検をやっていた。いざというときに、これが動かないとお仕事にならない。ま、報告会場にはプロジェクターやらスクリーンはあるのだけれど、自分の使い慣れた機器を準備しておくことも大切。まさかの時にはこれが役に立つ。接続コードも長さの違うものを何パターンか用意してある。備えあれば憂いなしだ。

 

 ということで、少しずつ、準備が進んでいる。既に報告会のチラシは配布され、ポスターは掲示されているし、当日配布用の資料も印刷されて準備万端。あとは、この私が会場にパソコンと、そこに内蔵された「パワーポイント」資料を持って行けばほぼ準備完了。最後は私がどれだけの報告ができるかだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」と云うもの。どんなにつらい悲しみにもそれにふさわしい幸せがきっとある。そのあとに、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない・・・」という言葉が続く。ご存じ、荒了寛先生(天台宗米国ハワイ開教総長)の言葉である。今が幸せな時は、過去のどんなに辛いことも必然であったと思うのは不思議なことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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