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Channel: まほろば自然博物館
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午睡する 菜の花畑の 寝ぼけ顔

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から11度、湿度は75%から42%。風は2mから5mの西北西の風が少し。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。今日は春めいてうぐいすの声や小鳥の鳴き声がよく聞こえたことだった。

 

 さて、昨日の不明の3人(水野忠精・水野千波・上野敬助)のことで教えられた本を探しに県立図書館に出掛けてみた。

 

 ここの馬酔木が咲き出していた。ここには白い花と薄紅色の花があって壷形の花をいっぱい咲かせる。かすかな香りがしていて、枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいるらしい。馬が食べると酔って足がなえることから、しだいに変化して「あしび」そして「あせび」となったという。漢字の「馬酔木」もその由来によるとのこと。

 

 これを見ると春らしくなったなぁと思う。

  

 こういう本ほか4冊を借りてきた。この中には英国技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計した灯台の写真が収められている。この本を見て驚いた・・・。

 

 これは瀬戸内海にある「鍋島灯台」で、こんな変わった形の灯台はここだけだろうと思っていたが、この本の中には同じようなものが幾つもあった。そりゃそうかも。同じブラントンが設計したのだから。

 

 これは淡路島にある江崎灯台。ここは高い場所にあるせいか背が低いが同じような形である。

 

 これは下関にある「六連島灯台」これも背丈は違うが同じような建物である。ほかにも何カ所か似たような灯台がある。灯台と云えば背丈の高いろうそくのような灯台だと思っていたのだが、同じ人が設計すると似たような形になるものか・・・。

 

 他にも四冊ほど借りてきたが、明治初期の写真集ばかり・・・。

 

  上野敬介という人物を捜し出してきた。正式には上野景範(かげのり)と云うのだそうだ。薩摩藩のころから洋学を学び、新政府に取り立てられて、ブラントンに同行して各地の灯台建設に関わった。その後、ハワイへの勤務を命じられ、ハワイ移民第一号となった人。

 

 水野千波という人は、水野若狭守良之という幕府の外国官から新政府の外務小丞を勤めたり、福岡県権参事から参事として活躍した人だとか・・・。同じ水野でも、系統の違う水野家であるらしい。だから、この人もブラントンに関係していたらしい。

 

 ということで、今日のお昼はここになった。木田郡三木町上高岡にある「手織うどん。滝音(たきね)」というプチセルフのおうどん屋さん。

 

 で、トッピングが8種類という「まかないぶっかけ・小・温い」を注文した。肉・わかめ・大根おろし・かまぼこ・あげ・温玉・ねぎ・レモン・・・。これだけ乗っているおうどんも珍しい。それでも飽きたらずに、おろししょうが・天かすを載せる強者もいるというお店。

 

 この我が家にあるもの。私の母だったさっちゃんは、「サンシュウ」と言うていたし、このあたりでは「サンシュー」と云うているのだが、FBF(フェイスブック友人)の北海道の「きなこさん」から、これの正式名は「サンシュユ」と云うのだとメッセージを頂いた。漢字で書くと、「山茱萸 (さんしゅゆ)」ということで、「サンシュ」+「ユ」なのだという。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 全く悩みのない人生など有り得ません。 生きるということは すなわち悩みと共に歩くことなのです。」と言う桝野俊明さんの言葉らしい。しかしのかかし、悩みが生まれる原因はただ一つ。それは何かにとらわれているからで、欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着にこそ、悩みの発端があるのではないか。執着をまったくなくすことはできないが、それを受け入れて生きて行くことはできる。 悩みを悩みとして共存して生きてゆくことはできるもだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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