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Channel: まほろば自然博物館
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我がこころ 白一色に 染める梅

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 さぬき市地方は、寒気の影響で瀬戸内側や山地を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は6度から10度、湿度は84%から46%。風は4mから6mの北西の冷たい風が吹き荒れていた。三寒四温だか知らないが冬に逆戻りしたような冷たさだった。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日はお彼岸の中日、春分の日と云うことで、予定の行事はてんこ盛りにあったのだが、空気が冷たいので肺炎になったら命取り・・・ということで外出は禁止。ということで、今日も「引き籠もり状態」のパソコン三昧。またまた、目が乾いて痛い・・・。

 

 そろそろと、「英国士官レキ研究」もおしまいにしないといけないぞ・・ということで、今日はホームページの更新作業。今までの調査研究で見つけたことを、ホームページに反映しておかねば・・ということだ。

 

 これが、発端になった「シルビア号ジョン艦長からの感謝状」。この一枚が歴史をゆがめてしまうことになったのは皮肉なこと。この手紙があることで、「1866年」「HMSシルビア号」「ジョン艦長」が垣根を作ってしまって、「英国士官レキの墓」の真実を覆い隠してしまった。

 

 つまりは、ジョン艦長の思い込み、勘違いから歴史が曲がってしまったと云うことになる。そういうことって、あちらこちらにあるように思う。書いた文書がある。書いたものがあるということで歴史を信じてしまいそうだけれど、それだって危ないってことだ。所詮、人間のすることなのだから。

 

 この看板を書き換えるとすれば、「明治元年(1868)英国の軍艦マニラ号が瀬戸内海の燈台用地調査中、士官のレイクが死亡した。そこで近くの広島に着け遺骸を江の浦の西のはずれの人里離れたところに葬り十字架の墓標を建てて去った。明治四年(1872)に江の浦の医師の岡良伯という人らが英国士官の霊を悼んで長谷川三郎兵衛という会計官の指示によって墓碑を建てて菩提を弔うようにした。後に英国より感謝状が送られて来た。」と云うことになる。

 

 これは、しわく広島にある「羽節岩灯標」(明治28年1月25日初点灯)の灯油倉庫。今は太陽蓄電池で点灯されており、この建物には村役場の古い資料が入っているだけ。なんとか活用できないものか。本来ならば、海上保安庁のものになっているはずが、保安庁は「そんなものはない」と云うのだそうだ。仕方なく、廣島村から丸亀市の所有ということになるらしい・・。

 

 ということで、今日は町内のここでお昼になった。我が家から車で数分の所にある「手打ちうどん・まるたけ」というセミ・セルフのお店。ここだと、時間帯を少しずらすだけで並ばなくとも食べられる。ここもさすがに12時を過ぎたら行列ができる。それでも十分も待てば充分に食べられる。

 

 最近はこういうパターンも多い、わかめうどんの280円。さっぱりとして気分がいい。麺もまろやかですっきりと食べられる。お出汁も濃くなくてあっさり系。

 

 最近はすっかりと横着になったものだと思う。新しいうどん店が開店したと云えばどこまでも出掛けて行ったし、話題のお店だと云えば何を置いても出掛けたものだが、近頃は手近なお店で、「おなかがおきればそれでいい」みたいな気分になってきた。さすがにおうどんにも飽きが来たのかも知れない。

 

 午後からも似たような作業が続いた。「レキ墓研究」を今月末で片づけてしまいたいと思う気持ちが強くなってきた。私は若い頃から「熱しやすく冷めやすい性格」だなぁと思ってきた。それが、三年も続いてきたのだから、そろそろ潮時だなぁとは思っている。

 

 今日はお彼岸の中日だから、親戚のものがお墓参りやお仏壇参りに来るから・・・ということもあって、自宅待機をけいこばぁに云われていたのだけれど、とうとう、誰もお参りに来ることはなかった。人生、死ねばおしまいなのかなぁとも思ったことだった。母が居なくなると、お墓参りやお仏壇参りがあるかなぁと思ったのだけれど。

 

 今日はセンバツ高校野球が始まったらしいが、そういうことも眼中になくなって、大相撲も優勝争いが熾烈になってきているらしいが、そういうものも眼中にはない。そういうものに夢中になれない、無気力・無感動の私になっているのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「外灯というのは人のためにつけるんだよな 私はどれだけ外灯をつけられるだろうか」と言う相田みつをさんの言葉。私が現役のころ、ある時期に、当社所有の電柱に街灯などを設置する許可を認可する担当になったことがある。あの頃によく聞いた言葉に、「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう...心の灯(ともしび)と言う、たぶんほとんど人が耳覚えのあるカトリック系のラジオ番組での一節が耳の奥底まで鳴り響いていた。社会を明るくする運動・・・ということで、街灯を多くした時期もあった。そういう「外灯・街灯」ではなくして、こころの「外灯」をいかに多くつけられるだろうか・・・と、相田さんは云うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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