さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14度から26度、湿度は89%から47%。風は2mから6mの東北東の風がうなりをあげて吹いてはいたが、涼しくていい気持ち・・・みたいな風。明日の10日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。
奥方のけいこばぁは、朝の5時過ぎから起きて畑仕事。私は定刻の6時過ぎまで寝ていて、それから畑用の水をポンプアップしたり、お風呂モーターを改良した水やりホースを準備したりして・・・・。ささやかなお手伝い。私は農作業は好きじゃない。
昨夜のNHK-Tvの19:30〜19:55の番組、にっぽん紀行「語り出す”人生”ノート」と云う番組を眺めていた。見るとはなしに見ていたのだが、自分の思い出とか、残された人へのメッセージとかを書き残すノートのお話。そこでは「エンディング・ノート」と云う言葉は出て来なかったけれど、似たようなものだなぁと思って見ていた。
で、布団に入って、「自分史」をどうやって書くかなぁとおぼろに考えていたが、「ちゃらんぽらん」な人生だなぁと思ったし、「好き放題のやりたい放題」な人生だったのかなぁとも思いながら寝てしまった。「自分史」と云いつつ、自分の陽の当たる部分、表の部分しか書けないなぁと思いつつ・・・。
朝になって、パソコンの中にダウンロードしてあった「エンディング・ノート」を開いてみた。ワードで書き込めるようになっていたが、正直・・・「無理だなぁ・・・」と思った。今から、娘や孫たちに「お世話になったね。ありがとう・・・」なんて書けないのだ。そういう気持ちにはなっていない。葬儀の方法、弔辞を誰に頼むか、葬儀には誰を呼ぶか・・・そんなことはいらんことだなぁと思うし、遺影はこうして欲しい、こんな音楽をかけてほしいとか・・・。そんな心配を先人たちはしただろうか。いらぬおせっかいだなと思った。
戦前戦後の激動期を生きてきた世代だから、今は亡き最愛の妻との思い出を綴ったり、嫁いできた頃の気持ちなんぞを記録して、それを今の人たちに記憶として残すということはいいことかも知れないが、戦後の平和の中でぬくぬくと育った私たちには語り継ぐような話も、伝えたい記憶もない。
風邪だから、熱があるからと、我が家に引き籠もっても居られないと、香川県立図書館に行ってみた。アキニレの若葉がすっかりと新緑になっていて、このあたりはまさに初夏の装いそのものだ。前を行くご婦人の姿でそれがわかる。
昨年から今年の頭にかけて、「おへんろつかさ」の講習を受けてきて、いよいよ、「おへんろつかさの会」の会員としてスタートするので、四国遍路に関する研究書を5冊借りて来た。借りて来たが読めるかどうかは自信がない。時期がきたらむさぼるように読むのだが、今はまだ、その時期ではないのかも知れない。
「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市において、四国遍路の知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている会で、主には、「上り3ケ寺」と呼ばれるさぬき市にある86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントを開催している。ま、平たく云えば「観光ガイド」みたいなもの。
寺院に出入りするお作法、手洗いのお作法、参拝のお作法・・・・見ているとさまざまでばらばらで。歩き方とか立ち振る舞いとか・・・。少しずつガイドしたり、お話したりしながら・・・。私も一緒にお勉強なんだけれども。
このブログを最初から読み直してみたら、ここ最近の10年間の自分史くらいはできるかなぁと思って見たり・・・。そんなもの作っても誰も読まないかなぁとも思って見たり・・・。
今日の掲示板はこれ。「失敗ではない うまくいかない方法を見つけただけだ」というエジソンの言葉から。本当は、「失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を七百通り見つけただけだ。」と云うものらしい。しかし!「成功するまで続けよう!」といって、失敗を重ねる。でも、いつまでも成果につながらない・・・。そんなことは日常茶飯事。あのエジソンでさえ、これだけの失敗を重ねてきた。そう考えると私たちの失敗なんて、モノの数ではないということを思い知らされる。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。