さぬき市地方は四国付近にある低気圧の影響で雲が広がり、雨は降ったり止んだりの状態の1日。気温は18度から25度、湿度は96%から77%。風は2mから4mの東北東の風が少し。これが梅雨なんだなぁと思う今日このごろ。明日の7日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨となる所があるという予想だった。
さて、明日の朝、LCCで?松から成田に向かうのだけれど、24時間以内に手続きをしておくこと・・・と娘に言われているのだけれど、何をやっとけばいいものかと思案しながら、あれか、これかとやっていた。何かのバーコードとかを打ち出してカウンターへ持って行くこと・・・という伝言だったけれど。
どうにかこうにか、バーコードまでは印刷できたけれど、「これは搭乗券ではありません」と書いてあるが、これでいいんだろうか。「旅程表」と書いてある。GRコードはどこにも印刷されていないが。
とにかく、早めに空港に着いて手続きをしておけば成田までは行けると思う。思うが、千葉も明日は雨だろうか・・・。雨の日の旅はどうにも苦手なんだけれど。
それに、成田空港からお施主さんの家まで、どうやっていけばいいものか。ある程度のルートとか電車の時刻表は送られてきているのだが、どうにもこうにも感覚がわからない。「スカイアクセスの特急に乗って新鎌ヶ谷に行き、東武アーバンパークラインに乗って江戸川台へ・・・」田舎者には外国へでも行くようなもんだ。
それにしても、あれほど邪魔くさかった迷犬ごんがいなくなると手持ちぶさたでどうしようもない。散歩に行くのも面倒だったのに、いざ、いなくなると・・・部屋の中を歩き回って手持ちぶさたを解消している。ま、明日になれば、それどころではなくなるのだけれど。
さて、昨日は金剛杖のことを書いたが、この笠もまた大切なものらしい。この笠は「菅笠」というもので、上になっている梵字の書いてあるほうが前。同行二人の字が後ろ。笠の四方に以下の文字が書かれている。
「迷故三界城」:まようが ゆえに さんがい は しろ
「悟故十方空」:さとるが ゆえに じっぽう は くう
「本来無東西」:ほんらい とうざい なく
「何処有南北」:いずくんぞ なんぼく や ある
<迷っているが故に私達を取り巻く環境はまるで堅固な城郭に閉じ込められているかのような圧迫感がある。その迷いを突き抜けて悟ってみれば、もう十方世界は大空と同じように自由で伸び伸びとしている。>
「四国遍路」(辰濃和男.岩波新書)では次のような、うまい訳をつけている。
<迷えば狭い枠のなか、悟れば宇宙のただなかだ、風にまかせて歩くだけ。>
真言宗と禅宗では死者を収める棺に書く文字らしいが,遍路が亡くなった時,この菅笠で死者を覆い、棺の代わりとする。これを被っている遍路は死者であることを表している。つまりは、遍路は棺桶をも背負って歩いているというわけだ。遍路が終わって、杖を納め、笠を納めたら、すなわち、死の世界から再生することが遍路の意味であるという。
これは、「白衣」とか「おいずる」で、白衣は、袖のあるもの。笈摺(おいずる)は、袖のない法被。白衣も「びゃくえ」と呼んだり「はくい」と呼んだりしているが、決まりはないらしい。「死に装束」で遍路が他界(聖なる世界)を行く者であることを象徴している。身体には死に装束をまとい、ふところには「捨て往来」を持ち、棺桶を背負い、手には墓標を持っての、つまりは、「お遍路さん」は形も精神も「死出の旅」であった。
ということで、明日の7日からしばらく、ブログの更新はお休みになる。
今日の掲示板はこれ。「自分をかえたいと思ったら 思い切って新しいことをやってみるんだね」というもの。このままじゃダメだ、どうにか自分を変えてみたい・・。何度も何度も考えたものだった。でも、なかなかに、自分を変えるなんてできないもの。個人的には、新しいことより、興味があることには行動を移していきやすい。そして「やれること」と「やるべきこと」は区別するようにしている。なぜなら「やっている(やっていない)」ことより「できている(できていない)」自分を客観的に確認できるからだ。いまの自分に感謝しながらも、前向きに生きていくことは、常に新しいことにチャレンジしていくことなのかもしれない。
If you want to change yourself, do something completely new.
それではしばらく、ごきげんよう・・・。