さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がりやすいが、一時的にはよく晴れたりもした。気温は21度から30度、湿度は91%から62%。風は3mから1mの西南西の風が少し。昨日は涼しかったが、今日は蒸し暑い一日になった。明日の5日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。
来週からの京都行きの準備を始めたのだが、なんだか、京都行きのスイッチが入らない。この蒸し暑いときに京都に行くのか・・・と思うと気が重くなってしまうのだ。そんなことを言うと、京都に住んでいる人たちには申し訳ないのだけれど。
と、言うことで、今日もまた郷土館めぐりに出掛けた。今日は?松空港近くの「高松市香南町由佐」にある「高松市香南歴史民俗郷土館」に行ってみた。ここは例年、この時期に「我が家のお宝展」というものをやっている。
由佐城は、由佐氏の居城で、東は香東川、西に沼地の多い自然を巧みに利用した要塞であった。天正11年(1583)長宗我部元親軍が攻め入ったが容易に落城しなかったと伝えられる堅城であったという。城内には土塁が築かれ、櫓もあったそうで、由佐家の居宅とした屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができたそうだ。今でも香南歴史民俗郷土館の敷地内、庭園西側には土塁の跡が残されている。周囲には南門という地名も伝えられている。
高松市香南町歴史民俗郷土館は、由佐城跡に建設されたもので、郷土館の建物は、現存する最古の天守閣を持つ福井県の丸岡城をモデルに建てられており、館内には歴史展示室、民俗展示室、図書室を備え、地域の歴史を知ることができ、本格的なお茶室の拵えのある研修室もある。
?松市民のお宝というのだから、古伊万里の皿から書や額、軸に屏風、刀剣・鍔からブリキのおもちゃまでさまざまなものが展示されている。
この六曲一双の屏風は?松藩士の藤沢南学の筆になるものだが、大正時代のものだからまだまだ新しい。
私はこういうブリキのおもちゃが懐かしくていいのだけれど。こどもの頃にはたくさん買ってもらったのだけれど、なんで動くのだろうかと分解してしまって、元に戻せなくなって川の中に投げ込んでしまったらしい・・・。昨日の久米通賢とは大きな違いだ。
で、いつものここにやってきた。ここは東かがわ市小砂(こざれ)にある「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、昔の集会所であった。ここが、今では「正真講本部」となっており、庄松同行の情報発信源ともなっている。
石段を登り切った左手にあるのが鐘楼。その先に墓石がいくつかあるが、その中に一段と高くなって花が供えられている石碑が「庄松同行の墓」で、「釈正真信士墓」と刻まれている。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。
庄松同行は讃岐の国大川郡丹生(にぶ)村土居(現・香川県東かがわ市土居(どい))に生まれて、父を谷口清七といい、真宗興正派の同市三本松にある海暁山勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし、東西に遊化し、よく人を諭し、その言うところは質素ぼくとつ、ありのままにして、しかもご法義にかない、おもしろくありがたくあったと言われている。
で、今日も朝昼兼用のお昼ということで、ここに寄った。東かがわ市引田にある「本格手打ちうどん宮川」という半セルフのお店。食欲もないが、何か食べておかねば・・・ということで、今日はこれにしてみた。
「ぶかっけうどん小の冷や」で400円。少しお値段するなぁと思った。今日も味がまったくわからなかった・・・。これは重傷だな。
今日の掲示板はこれ。朝の「小砂説教所跡」にあったお皿に書かれていたことばで、「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角(つの)があるまんまと聞こえなんだか」というもの。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。