さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲の広がっている一日になった。気温は22度から27度、湿度は84%から61%。風は3mから1mの南南西の風が少し。少しばかり蒸し暑い一日になっている。明日の6日も気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みとか。
朝方はこのように青空も出て、いい夏の日になったなぁと思って出掛けたのだが・・・。
今日は、ご案内をいただいていた、「高松市塩江美術館」の「いろとかたちの時空間」という現代アートの展示会をのぞいてきた。ここも入場料は300円なのだが、香川県発行の「長寿手帳」を提示したら無料で観覧できることになった。ま、おじいさんが一人入ろうが入るまいが、事務員さんにとってみれば何の問題もないのだろう。
高松市塩江美術館は、1994年4月塩江町立美術館として開館し、2005年9月の市町村合併により、高松市で2館目の美術館として新たにスタートしたもの。香川県にゆかりのある作家の作品を紹介する企画展と、美術館のコレクションの中から構成される常設展を開催している。展覧会に関連したワークショップや講座、陶芸教室、コンサートなども開催しているらしい。
企画展示の「いろかたち・・・・」の展示はこんな部屋で展示されている。ここでは、猪熊弦一郎・川島猛・四宮金一氏の作品が並べられている。この展示は平成26年7月4日(金)〜7月27日(日)。
ここは建物自体がアートのようなつくりになっている。ここは撮影可能だったが、隣の常設展示室は「撮影禁止」になっていたので画像はないが、平成26年度第1期常設展は「画家の眼」という、熊野俊一のデッサン・スケッチが展示されていた。こちらの展示は平成26年4月19日(土)〜7月21日(月・祝)までとなっている。
で、FBFの井川さんが、「団蔵うどん」を紹介していたので、今日もついでだからと、ここに寄った。四国霊場88番札所大窪寺の門前にあるおみやげ屋さんの「八十八(やそば)庵」という一般店。今日も朝食抜きの「朝昼兼用食」となった。
で、店主さんから、おでんのお接待をいただいた。おおきにです。
麺が細めの夏の風物である冷やしうどん。今から約数十年年前に、 今は亡き歌舞伎役者『市川団蔵』さんが、四国霊場八十八ヶ所巡礼の旅を終えた後、このお店に立ち寄り、 このうどんを食べ「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆してくださったことから市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたもの。麺は4ミリという細いもの。まるで半田そうめんかと思うような細さとなめらかさ。こんなにたくさんの量を食べられるかなぁと心配したが、なんなく完食してしまった。
消費税が上がったせいか、700円になっていた。まだ、アジサイは残っているのだろうが、そうそうゆっくりとしてもいられないのでお店を出た。
で、次にやってきたのは、東かがわ市引田にある「東かがわ市歴史民俗資料館」。古代・中世のころから、近世・近代・現代へと続く引田のまちの歴史を当時を語る収蔵物とともにパネル展示でわかりやすく展示している。
今回の調査項目は「能代伝吉」という人物。能代伝吉(1820−1884)は幕府の海運業者。文政3年4月8日生まれ。北国廻りの海運に従事。慶応4年奥羽征討軍参謀大山綱良(つなよし)にたのまれ、軍の食料を出羽(でわ)能代(のしろ)港(秋田県)から越後(えちご)(新潟県)出雲崎(いずもざき)に輸送した。明治17年5月10日死亡。65歳。讃岐の三本松(さんぼんまつ)出身。
この「澤殿」とは、幕末の公家の九条道孝のこと。権大納言や左大臣を歴任し、明治元年に奥羽鎮撫総督に就任した。戊辰戦争の際、新政府軍の物資輸送に尽力し、能代伝吉は九条道孝より、この旗・印鑑・金100両を賜った。これにより、伝吉の船は新政府軍の御用船となった。
ついでに、隣にあった、久米通賢関連の「棒火矢」とか時計の部品とかも見学した。
ということで、今日も京都行きの準備をなにもせずに暮れてしまった。今夜からでもすこしずつやってゆきたいものである。
今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあったもの。「転んで大地あるを知る」というもの。転んでみて、痛さとともに、初めて自分が大地の上にいたことを発見するように、失敗や挫折を体験してみて、今まで気もつかなかった大切なものに気づくということがあるもの。人は、目指すもの、珍しいものに気を取られて、自分を支えている大きなものに、なかなか目を向けようとはしないもの。転んでも、また立ち上がる時、その支えとなる大地がここにあったのだと、見つけられれば大収穫だろう。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。