京都市地方は朝から晴れて暑い一日が始まった。気温は26度から34度、湿度は86%から94%。風は2mから4mの南南西の風。夕方からはぐんと蒸し暑くなってきた。
6時起床。起きると早々に寝具を片付けて荷物をまとめる。時間的には短いのだが、早くも今日は三日目になる。
7時10分から両御堂のお掃除。主に畳のから拭き。こちらは御影堂。
掃除が終われば着替えて8時からの「ご晨朝:じんじょう」こちらは阿弥陀堂。阿弥陀堂での「讃仏偈」が終われば御影堂での「お正信偈」と「観無量寿経」、「ご勧章拝読」。
amida
9時からが朝食。ここでは食事前に必ず順番で「かんわ」がある。不思議なことに、誰も、この「かんわ」をどう字を書くのか知らない。それなのに「今から”かんわ”を行います」などと云う。どんな字なのかわからないのに、あたりまえのように「かんわ」を行っている。
本願寺さんやお東さんの布教使さんなどは「感話」という字を使っているが、ここでは「感話」という字は使わない。そもそも「感話」などという日本語はない。それでは簡単な話の「簡話」かというとそうでもない。そう、「閑話休題」の「閑話」なのである。とりとめのない話とか無駄話とかの意味があるらしい。
九州南部は梅雨明けしたいらしいが、京都あたりの梅雨明けはまだまだのような気がする。
今日の講義は「本山史」。大原先生の集められたデーターベースを元に、江戸時代と明治以降の真宗寺院の数的変動とか檀家数の変異についての解析と考察。浄土真宗の多い地区、ほとんどない地区の理由や政策の理由など・・・。
特に明治以降の北海道や鹿児島・香川での浄土真宗寺院の数が一気に増えているのが興味深い。それに対向するように、関東地方は日蓮上人の開教折伏の成果で真宗寺院は空白地帯に近い。
15時過ぎに閉会式が終われば解散。荷物をまとめてようやくに長いロードが終わる。
京都駅前のお店で休憩。久々の生ビールをお茶代わりに立て続けに三杯を一気のみ。高速バスの発車時間は16時50分。約1時間の休憩タイム。
定刻の16時50分発の高松エクスプレス京都号は京都駅烏丸口を出発して、高速大内には19時50分に到着。奥方のお迎えで20時過ぎにはわが家に帰宅。11日間:248時間の長期ロードは終わりを告げた。
わが家の食卓は野菜ずくめ。奥方と二人で350mlの缶ビール12本がすっかりと空き缶になっていた。外では早くも「くつわむし」が鳴き出している。
今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中 何をしでかすかわからないのが自分」というもの。 妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えた。 「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』) 何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないもの。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるもの。人生にシミュレーションなどない。人生は、つねに本番である。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。