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ひまわりに 明日の予定を 聞いてみる

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は24度から30度、湿度は93%から69%。風は1mから3mの南南西の風が少し。明日の19日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 この左端の方の略袈裟と取り違えが起こっていて、その交換のために「まんのう町」まで行ってきた。

 

 昨日は、バタバタと帰り支度をしていて、うっかりと略袈裟を取り違えていたみたい。席も前後だったし、寝る場所もお隣だったし・・・。色も形も紋所も、全く同じ物であったからだし。

 

 で、すぐ近くにあったこの「梅木」といううどん屋さんに入ってみた。一応はセルフ形式で中高年のご夫婦でやっているお店。

 

 今日も暑いことだし・・・ということで、「冷やかけうどんの小」をお願いした。200円だった。消費税が上がっても、このかけうどんは変わらないみたい。

 

 けっこう、地元の方が頼りにしているようなお店だった。気楽に、我が家のような感覚で休んだり食事をしたりしている観じ。

 

 ついでに、「まんのう町帆の山地区」に行ってみた。ここのひまわり畑は満開状態。今月いっぱいまでは楽しめるらしい。

 

 今日は平日なのだが、いるわ、いるわ・・。大きなカメラをかついだ中高年の方々などがわんさかと・・・。私もその中の一人なのかも知れないけれど。ここの種類は「ホクレン」というもの。

 

 ここのひまわりは、種を収穫して「ひまわりオイル」を作るのだそうだ。栽培面積は町内全域で500〜600アール程になっている。帆山団地では帆山地区内の9割近くの面積が団地化され、毎年500〜550アールに作付けされ、約25万本が開花する予定。人を引き付け、元気を与えてくれる花「ひまわり」の魅力を町内外の人々に見ていただきたいと、関係者は話しているそうだ。

 

 ついでに、ここにも寄ってきた。仲多度郡まんのう町にある「満濃池」は、かんがい用ため池として名実ともに日本一である。満濃池の歴史は、大宝年間(701年〜704年)にはじまり、讃岐の国守道守朝臣(みちもりあそん)が築いたといわれている。しかし、弘仁9年(818年)に決壊、朝廷の築池使真人浜継(まびとはまつぐ)が復旧に着手したが、改修がならず、空海が築池別当(つきいけべっとう)として派遣され、わずか3ヶ月足らずで周囲2里25町(約8.25km)面積81町歩(約81ha)の大池を完成させた。

 

 その後、450年近くを経て、鎌倉・戦国の混乱期もあって、放置されたままとなっていた満濃池の修復を、生駒讃岐守が家臣西嶋八兵衛に命じた。寛永8年(1631年)に修復事業は完成し、再び33郡44ケ村の田を潤すことになった。その後も、安政元年(1854年)の大地震で再び破堤し、高松藩執政(しっせい)松崎渋右衛門(まつざきしぶうえもん)の支援のもと、榎井村の長谷川佐太郎(はせがわさたろう)らの尽力によって明治3年(1870年)に復旧、その後数回のかさ上げ工事を経て、昭和34年(1959年)、現在の満濃池となった。

 

 次にやってきたのが仲多度郡まんのう町追上にある「二宮忠八飛行館」。明治20(1887)年、忠八は21歳で徴兵され、丸亀歩兵第12連隊に入隊した。その2年後、野外演習の帰り道のこと、仲多度郡十郷村(現在のまんのう町)もみの木峠で昼食をとっている時、ふと霧の中から残飯を求めて滑空してくるカラスに注目する。カラスは翼を広げ、羽ばたくことなくすべるように舞い降りてくる。飛び立つときには何度か大きく羽をあおって、すぐに谷底からの上昇気流に乗って舞い上がっていく。その様子を見ながら忠八は、向かってくる風を翼で受け止め、その空気抵抗を利用すれば、翼を羽ばたかなくても空を飛ぶことができるのではないか、と考えた。飛行原理の発見である。

 

 その日から忠八は空を飛ぶことの研究に没頭。休みのたびに研究を重ね、ついに1年後、「カラス型模型飛行器」を完成させた。飛行実験では、10メートル飛んだ。その後、自由に空を飛べる二枚翼の「玉虫型飛行器」の実用機の完成を目指し、何度も軍に上申して、日夜研究を重ねたが、あと一歩のところでライト兄弟が有人飛行機を飛ばし先を越されてしまったのであった。

 

 晩年は、自らの考えていた飛行機が現実に世界の空を飛び交うようになったとき、その事故による犠牲者の多さを嘆き、自宅に「飛行神社」を建立し、航空界の安全と航空殉難者の慰霊に一生をそそいだ。 忠八の功績は、有人飛行機を飛ばすには至らなかったが、ライト兄弟が成功する14年も前に飛行原理に着想していたこと。また、忠八が研究に費やした時代背景は、まだ日本に電気はなく、動力もままならない時代でもあったにもかかわらず、夢の実現に向けて研究に没頭した人生は、近年「日本の航空機の父」または「飛行機の真の発明者」と称されるようになった。(同館HPから)。

 

 その「玉虫型飛行器」をモチーフにした、旧仲南町のマンホール。特産品のタケノコと梅があしらわれている。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」と言うもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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