さぬき市地方は、西日本に停滞する前線や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は24度から28度、湿度は96%から89%。風は1mから2mの南東の風が少し。明日の18日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。
朝からムシムシとしていたが、今日は集落の地蔵祭の日だというので早めに起きた。関西あたりでは、8月の24日あたりが「地蔵盆」ということで、本来は8月の23日が「お地蔵さん」の日の予定だったが、今年はなぜか繰り上げての17日になった。こういう場合には「地蔵祭」というらしい。
この石段の上にあるほこらがお地蔵さん。朝の7時からみんなで掃除をすることになっている。このあたりは、7時と言えば30分前の6時半あたりから人が集まりだす。
地区総出・・・というても12軒しかないし、都合で出られない人も居て、この日は8人ほど。落ち葉などをかき集めて20分ほどでさっぱりとした。
その掃除が終わればシャワーを浴びて着替えて・・・。今度はわが家の「盆礼」の準備。何度も「盆礼」については書いてあるので省略するが、要は正月とお盆の時期に親戚一同が仏さんまいりをして、食事会をすること。
まずは酒屋さんがやってきて生ビールのサーバーをセットし、生ビール19リットルのタンクを接続する。けいこばぁは予約してあったお寿司やオードブルを受け取りにお買い物。
その間に娘家族とか弟とかが来るが、その家族はやってこない。お盆休みが終わっての日曜日だから、早くもお仕事が始まっているみたい。
こういうものとか、
こういうものとかでのお食事会。でも、お盆休みの終わった日曜日ということもあって、都合が悪くなったとかで・・・結局の薬局で、弟二人と娘家族の三人、それに私たち家族の二人だけになった。ということはビールが飲めるのは5人だけ。それで19リットル・・・・。これでは三日ほどはかかるなぁと思ったのだけれど。
このあたりでも「盆礼」や「正月礼」をする家が減ってきているらしい。事実、私は何処の家にも呼ばれることはなくなった。つまり、仏事がだんだんと減ってきているということになる。昨年は母が亡くなっての「初盆:新盆」ということもあって、たくさんの人のお参りがあったが、母という人がいなくなると、その縁者になる人が来なくなった。母となら会話が通じるが、私らになると話題に困るのだという。
時代はそうやって動いてゆくものらしい。おとなたちは飲み出すと動かない。そこで孫のなぎちゃんが大活躍。「なぎちゃぁん、おねがい」とか、「こっちにも生ふたつ!」とかと。
宴たけなわ・・・というところで、私は「お地蔵さん」のおまいりに行かねばならない。
この「お地蔵さん」のおまつりはいつごろから始まったのかを知る人はいなくなったが、娯楽の無かった時代には大切な縁日であったようで、集落以外からもお参りの人が来ていたのだとか。戦後の一時期には盛大な盆踊りまで行われていたのだとか。戦後の昭和20年代から30年代には戸数も20軒もあって、子供の数も数十人もいたのだと聞いた。
今年はおとなばかり、それも50歳以上ばかりの9人の集まりになった。長老の読経から始まって世間話から自治会長からの伝達事項の周知とかでほぼ一時間。
このおまいりの中の二人を強引に我が家にお招きして、今度は夕食会。
ああだ、こうだとわぁわぁ言うてる間に、例の19リットルは完全に空っぽに。誰が飲んだんじゃろうか・・・。
今日の掲示板はこれ。「誓って破ってまた誓う 決まり文句は今度こそ」というもの。それが凡夫(ぼんぶ)たる我らの姿である。昔に流行った「スーダラ節」植木等の歌った有名な歌だ。「わかっちゃいるけどやめられない・・・」我らの素顔そのもの。それでいいのだ。「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍(じゃかつ)の如くなり」と親鸞さんも言うてなさる。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。