さぬき市の21日は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、夜遅くには雪や雨の降る所がある見込みらしい。気温は2度から7度、湿度は68%から51%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の22日は、気圧の谷が通過し冬型の気圧配置が強まるため、雲が広がりやすく、朝まで雪や雨の降る所があるとのことだった。
現役時代には、「毎日が忘年会です。ボクの家」とかと豪語していたのだが、年金生活者になると、そんなことは夢のまた夢。忘年会の話も新年会の話もクリスマス会の話も全くない・・・。
そんな中・・・、「つかさ勉強会と懇親忘年会」という案内が届いた。それは行かなくては・・・ということで、今年、唯一の忘年会に行って来た。でも、1時間半のお勉強会が待っていた。
今日のお勉強は、「巡る人々、巡る信仰」というタイトルの「木食(もくじき)」上人と六十六部衆のお話。「木食」というのは、五穀・十穀(稲・畠稲・麦・小麦・蕎麦・粟・黍・蜀黍・稗・大豆・赤小豆・緑豆・蚕豆・豌豆・ささ豆・へん豆・刀豆・胡麻)を食べないという食物戒をしながら修行する人たちのこと。そういう戒律を持ちながら、勧進や作仏(さぶつ)しつつ、諸国を廻国する修行僧のこと。
こういう生の木に造仏したり、丸太で仏像を彫ったりした。有名な「円空」も、この仲間だったらしい。だから、彼らは六十六部衆もしたり、秩父霊場なども回ったし、四国遍礼の札所巡りもしたり、小豆島霊場を開いたりもした。四国遍路の開祖みたいなことだった。
こういう、木食修行僧が何人も讃岐やさぬき市あたりにやってきては、大黒さんやお不動さんを掘って残しているのだという。つまりは、昔は、木食修行僧も、六十六部衆も、四国遍路も、秩父観音霊場も・・・一緒くたの信仰であったらしい・・・。
お勉強が終われば懇親会に移る。みんなで座布団の学習会から椅子席の懇親会場に模様替え。私たちの先生の「櫻谷和香権大先達」が、晴れて「「大先達」に昇進したという祝賀会。中央の男性は市原さん。お遍路の本を出版したというので、その祝賀会。右の女性は、「おへんろつかさの会の立役者」江崎さんの結婚祝賀会・・・という名目の忘年会。
さぬき市長さんもお祝いに駆けつけてくれてのお祝いメッセージ。
お食事は・・・・こうしたものでつつましく・・・。なにせ、会費が1500円なのだから、これでも豪勢なお食事だ。
要は、みんなで食べればおいしく食べられる・・・みたいなことだ。もちろん、本物のビールから日本酒、ワインまで用意されているが、時節柄、お茶やノンアルコールビールとかウーロン茶なども用意されている。
みんな、おへんろをキーワードにはしているが、想いも願いも夢もはさまざま・・・。宗派だってさまざまだし、考え方もさまざま。お遍路のお墓が専門の人も居れば、お接待にいのちをかけている人も居る。お遍路には全く興味はないが、みんなでわいわいと話ができるのがうれしいという人もいる。だから、この人たちの中には有名な人も居れば学術的に著名な方もいる。
でも、そんな肩書きや垣根を感じないで交流できるのがうれしい。
朝の9時の会場準備から始まって勉強会、懇親会・忘年会を終えたのが14時。みんなで一斉にお片付け。残飯整理からお土産造り、椅子やテーブルの片付けからモップがけまで。「赤信号 みんなで渡ればこわくない」みたいに、「後片付け みんなでやれば なんでもない」。あっという間に片付けが終わってしまう。そして、明日からはまたもや他人に戻ってしまう。
木食(もくじき)上人というのは、そういう名前のお坊さんかと思って居たら、穀物や火を通した食事をしない修行僧の一団で、その中に、「行道」とか 「以空」とか「連業」とか「観正」とか・・・さまざまなお坊さんがいたのだということを知った。また、その人たちが、お寺を中興したり、再興したり、勧進したり、中には蓮如上人の像を作仏した人もあったという。
宗門内でも学問もまた大事ではあるのだが、宗門外から見た学問もまた、大事なことだなぁと感じたことであった。
今日の掲示板はこれ。「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ 生きていると言うことを実感することもできない」という言葉から。ハイデッガーという人の言葉らしいが、この言葉をそのまま、すなおに受け止めておきたいと想ったことだった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。