さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側や山間部を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温は4度から7度、湿度は83%から57%、風は3mから5mの西北西の数が吹いていた。明日の13日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。
午前中は相変わらず外出禁止でパソコン作業。論文の修正作業や画像の処理なんぞをやっていた。そこへ娘家族がやってきて、今日はみんなでおうどんに行くことになった。このあたりにはファミレスもレストランもマクドもミスドもない。
さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店である。こういう家族で行く場合、やはり落ち着く一般店がいいと奥方はおっしゃるのだ。
で、女性陣3人は「かけうどん」。男性陣2人は「しっぽくうどん」で580円。寒いときにはこれが温まっておいしいと感じるのだが、多少、熱いのが気に障る。どうにも熱いのは苦手で、コーヒーも紅茶も苦手である。
午後からは奥方がお仕事に出かけたので、粉雪の舞う中、東かがわ市五名(ごみょう)経由で、さぬき市多和槙川にあるこのお寺に寄ってみた。
ここもお馴染みになった四国霊場88番札所の「大窪寺」。お遍路さんの姿もみられたが、初詣のカップルらしき若者が目立った。寒いから人は少ないかなぁと思ったが、今日は休日だからか、案外とおまいりの人が多かった。
今月は、秘仏御開帳が今日でおしまいだというのでやってきたという訳。
これが「拝観の心得」。これを読んで納得して本堂の右手の入り口に向かう。
ここから入って、拝観料1000円を納めると、金剛線というということで、ミサンガのようなものを左手に入れてくれる。仏様を拝観するときのお念珠みたいなものだろうか。これを左手に入れていただいて、塗香(ずこう)を左手に受けてすりあわせ、口に当て、胸にも当てる。私は五回目なのだが、何度拝ませていただいても、薬師如来さまがよく見えていない。ま、今までは左目がほぼ見えなくなっていたので余計に内陣がよく見えなかったのだ。
記念品として、お寺のパンフレットと「散華」が授与される。お寺では法要を行うときに、ほとけさまを供養・讃えるために花や葉をまき散らす。法要に散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ、道場を清めて仏を迎えるためとされる。元来、蓮などの生花が使われていたが、現在は蓮の形を模った色紙で代用することが多い。これは釈迦と深い繋がりがあり、法要など仏を供養する場で撒かれることがある。この色紙を「華葩(けは)」ともいう。
この「散華」には大窪寺の風景、秋の紅葉、冬の大窪寺、冬の星空と本堂が描かれている。
裏面にはこういう文字が印刷されている。
これが大窪寺の本尊、秘仏「薬師如来座像」である。総高170.8cm、像高89.3cm、本体はカヤ材の一木造り、彫眼。左手には薬壺ではなくてホラ貝形舎利容器(水晶製)を持っている。(大窪寺資料から)
今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し 今朝の春」という中村久子さんの言葉から。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づかされ、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。その体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれるものであろう。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。