さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2度から8度、湿度は68%から52%、風は3mから1mの西の風が少しばかり。比較的ほっとする天気だった。明日の19日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、明け方から朝にかけて雨や雪の降る所がある見込みらしい。
平年ならば、この時期には多少なりの雪が降る頃なのだが、今年は雪らしい雪は見られない。氷だってまだ珍しい。雪が降らないことはありがたいのだけれど、二月の京都行きの頃、母の三回忌のころに大雪が降らないといいのだけれど。
で、今日は珍しくいい天気になったので、布団を干してみた。
今日は良い天気なもので、どこかに出かけたいものだが、奥方が「灯油やら缶ビールやら重い物を買うのだから一緒に行ってよ。勝手にでかけるのはダメよダメダメ」などと仰る。
仕方がないから、またしても「山頭火の句碑集」の校正作業をやってみた。やればやるほど、修正箇所が出て来る。
昨日までは、「さぬき市を歩いた山頭火」というタイトルだったが、あまりにも中身と違うような気がしてきて。
「さぬき市の山頭火句碑を歩く」に変更した。たいした変更でもない。
ということで、全ての印刷をやりなおすことになった。ま、80ページほどの内容だからたいしたことでもない。
本当は残っている現場調査をやってからにしたかったのだけれど、ついつい、先走りしてしまいたくなる。ほぼ、ゴールは見えているような気になっているのかもしれない。
この「宗林寺」にはほかの俳人の句碑も多いから調べるのが難しい。句碑集には掲載されていても境内や参道にはない句碑も幾つかあるし、山頭火らしいが、どんな句集にもないものもある。この「草は咲くかまどのてふてふ」という句も、どんな句集にも載っていないという謎の句である。
先の句は、「草は咲く かまどの てふてふ」なのか、「草は咲くか まどの てふてふ」なのかもわからない。前者の場合、「かまど」が外にあるのか、室内にあるのか。どちらにしろ、「草が咲く」とはどういうことなのか。どこをチョウチョウは飛んでいたのか。
明日の月曜日の天気は悪く、明日の現場調査は無理らしい。ということは、明日も句碑集の校正作業か・・・。
とにかく、今日は雑用と奥方の運転手と、山頭火で暮れた一日になってしまった。
今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てるだろう。かと思えば、自動車である所へ出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけて歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。
・さて「徒歩の私」も「自動車の私」もどちらも同じ私であるが、どちらの側にあっても腹を立てている。いったい誰が邪魔だというのだろうか。どこまでも「自分の都合」で相手を評価し、選別する人間。そんな中で互いに排除し排除され、いつしか人間であることを見失った社会を作る…それを地獄というのではないだろうか。「私たちは地獄を持ち歩いている」と先日教えられたが、そのとおりだ。私の苛立ちは、苛立つ私にのみ、ついてくる。 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。