四国地方は高気圧のせいで概ね晴れていた。気温は2度から12度、湿度は80%から51%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。暖かな春のような一日だった。明日の26日は、低気圧の影響で雲が広がり、昼前から夕方は雨が降り、夕方は雷を伴う所がある見込みらしい。
今日は月に一度の「おへんろつかさの会」のバス研修の日である。朝の7時にさぬき市役所に集合・・・と言っても、起きるのは午前6時だから真っ暗闇。家を出るのが6時半、まだまだ暗い。バスに乗り込んでもまだ薄暗い。明るくなったのは高松市内に入ってから。
今回のバス研修は、四国霊場の54番札所の延命寺から、59番の国分寺までの6ヶ寺での実地研修。お寺の歴史や周囲の環境、お作法などを研修する。私たちはお寺に関係するような全てのことをガイドできるように勉強している。
このお寺は56番の泰山寺さん。この石壁に注目。このあたりは河の氾濫が多くて人命も多く奪われた。そのために川石を拾い集めてこのような石垣を築いた。このあたりの民家も似たような石垣がある。
この方が、「おへんろつかさの会」の専任講師の一人の「櫻谷和香」大先達。私の現役時代からの友人でもある。昨年12月に、「権大先達」の「権」がとれて、晴れて「大先達」に昇格した。この人に、お作法やお寺の縁起・歴史などの講義を受ける。
今日は暖かくて、少し歩けば汗ばむほど。今日の参加者は32名。みんなそれぞれのオーソリティーばかりが参加している。この左端のベトナム人みたいな方は「先達」を目指している人。昨年はサンフランシスコを旅してきて英会話のレッスンをしているとか・・・。
これが、今回訪問した「今治市」のマンホールの蓋。来島海峡と村上水軍だろうか。
これは55番札所の「南光坊」さんの境内にあった「松尾芭蕉」の句碑で、「物いへば唇寒し秋の風」と刻まれている。とにかく愛媛県には句碑が多い。
四国霊場の中で、「なんとか坊」というお寺さんはここだけなんだと。ここにも正式な名前があって、「別宮山光明寺金剛院南光坊」というのだそうだが、通称「南光坊」で通っているらしい。
ここの山門は立派なもので、仁王門ではなくて「四天王」が入り口をガードしている。で、今日のお昼は、「今治国際ホテル」の「真珠の間」でのお食事になったが、あいにくとカメラの電池切れとなって撮影できなかった。だけれど、お遍路さんのお昼だから、そんなに豪華なものではなくて、「お弁当」の少しカッコいいものだった。
午後からは、58番の仙遊寺さんから。ここは今治市の高い山、およそ、3Kmの山道を登ったところにある。いろんなお話を聞いたが、お先達さんの顔で、本堂の内陣に入れてもらって、ご本尊さんをしっかりと拝観させていただいた。
私の今回の目的のお寺がここ。57番札所の「永福寺」さん。正面が本堂であるが、
その本堂の前の外縁に奉納されているのが、この「箱車」。15歳の足の不自由な少年が、この箱車に乗ってお四国まいりをしている時、この車を引いていた犬が暴走して少年は箱車から投げ出された。少年はようやくに身体を起こしたところ、足の病が治っていたという。そこで、少年は、この箱車と松葉杖を、ここに奉納したのだという。事実はともかくとして、この箱車はここにある。当時は車輪にタイヤやチューブがあったのだろうけれど、今は金属枠しか残っていない。
今回の研修の最後は、59番の国分寺。もう、この頃になると、私の頭の引き出しは飽和状態。「聖武天皇が・・・・・・」講師の言葉が右の耳から左の耳を通り過ぎていく・・・。しきりに、みんなはメモを取っているが、私はメモする気力さえなくなっている・・・。
今回の研修で、愛媛県は終了した。今日以降の札所は寒くなる前に昨年のうちに打ち終えている。国分寺を15時45分に出て、さぬき市役所に戻ったのは18時15分。すっかりと暗くなってしまっていた。でも、一朝一夕では観光ボランティアにはなれない。経験の積み重ねだなぁと思ったことだった。来月からは香川分に入っていく。
今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんの言葉から。まさしく、そのとおりである。すばらしい「観光ボランティア」になることばかりを目指すのではなくて、まず、目の前の今日のことを、どう整理しておくかだなぁと思ったことであった。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。