さぬき市地方は南岸を通過している低気圧の影響で雲が広がり、東部を中心に雨や雪の降っている所があった。気温は2度から8度、湿度は94%から66%、風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の31日は、冬型の気圧配置になるため、雲が広がりやすい見込みらしい。
今日は大雪になるという予想だったので、奥方のけいこばぁは、どうして出勤しようかと心配していたが、夜が明けると雨だった。雨ではお出かけもできないと、今日もパソコン三昧、デスクワーク三昧になってしまいそう。
ということで、今日も「四国遍路の闇と影」の編集作業。今日は「市川団蔵」と「団蔵うどん」のお話である。この「団蔵うどん」、市川団蔵さんが結願後に八十八庵に立ち寄り、「時間がないので早くできるうどんを」と注文されたことから生まれたもの。短時間で茹で上がるように初代店主がうどんを細切りにして出したところ、「とても喉ごしがよくて美味しい」と好評だったのだとか。その数日後、団蔵さんは瀬戸内海で姿を消してしまった。
今から約63年前に、 今は亡き歌舞伎役者『市川団蔵』が、四国霊場八十八ヶ所巡礼の旅を終えた後、大窪寺門前にある「八十八庵(やそばあん)に立ち寄り、このうどんを食べ、「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆したことから市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたという。
「〝老醜″で団蔵の名を汚したくない」。晩年は、そのことばかり考えていたようだ。そして、引退興行の千秋楽の日、こんな感想をもらした。『これがすんだら、重い肩の荷が一度にスーッとして、いい気持でしょうね』」という。また、六代目菊五郎の狂歌に「永生きは得じゃ 月雪花に酒 げに世の中のよしあしを見て」があるが、団蔵は、これをもじって「永生きは損じゃ 月々いやなこと 見聞く憂き世は あきてしまった」という狂歌をつくり、また、周りの人にも見せていたという。
「我死なば 人に迷惑 かけるなよ 仏頼まず さらば地獄へ」と、さらりと言ってのけた。そして旅の途中に、この歌を「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と変えたとも話したという市川団蔵さん。おへんろさんはいろいろな想いで歩き続けているのである。
いよいよ今日は正月の30日、間もなく2月に入るということで、ホームページの更新をしておかねばならないと、作業を切り替えた。
まずは、3月分の予定表の作成から。これまでの「OCN」のほうには、「ここは、2月28日をもって廃止されます。以降は、http://wwwb.pikara.ne.jp/h-kimm に移転します。というメッセージを掲載して、3月分の予定表の更新はしない。
で、これからの「pikara」の方で更新をかけて行く。ここで、アクセス・カウンターを設置することにしたが、その方法がわからず、へとちまとち、しどろもどろ・・・。
なかなかに確認法もわからずに、結果待ちは夕方か、明日の朝か・・・。
一時期には粉雪も降ってはきたが、すぐにあがってしまった。
ホームページの移転作業は大変だなぁと思って居たが、思いの外、簡単に移転ができた。2月末日が、1月末日にと一月の前倒しで完了した。山頭火の句碑集も大詰め、「四国遍路の闇と影」も概ね、峠は越えたように思う。
後は校正とか画像の張り込みとか組み立て・配置なんぞの微調整。三月末には両方とも完成させたいもの。当面、2月の母の三回忌と京都での研修をクリアーしなければ。
今日の掲示板はこれ。「ひとすじに打ち込む そこに道がひらける」というもの。
「道」
ひとすじに打ち込む
そこに道がひらける
精神誠意ひたすらに
そのことに打ち込む
そこに道が開ける
道を誤っている時は
いくら走ってても益なし
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。