さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、山沿いを中心に雲が広がって、雨や雪の降っている所があった。気温は4度から6度、湿度は76%から54%、風は4mから6mの北西が強くて寒かった。明日の2月1日も、引き続き冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みらしい。
今日と明日はお出かけをしない日・・・の予定。
というのも、今日と明日は「四国遍路セレクション」ということで、お勉強というかおさらいというかのテレビ研修の日。ま、私の研究とは少し違うのだけれど、「おへんろつかさの会」会員としてはお勉強しておかねば・・・ということで。
ということで、今日も「四国遍路の闇と影」の編集作業。それと平行しながら、テレビ研修。
そそ、昨日に、amazonから、この本が届いた。自由律俳人の「住宅(すみたく)顕信」の「未完成」という句集である。
住宅顕信は、本名・住宅春美(すみたく はるみ)。岡山県岡山市に生まれた。岡山市立石井中学校卒業。1976年4月、岡山市内の下田学園調理師学校に入学。同時に就職し、昼は勤務し夜は通学という生活に入る。4歳年上の女性と知り合い、同棲を始める。この頃より詩、宗教書、哲学書に親しむ。1978年3月、下田学園卒業。1980年、父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教にに傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名告る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」に因み、無量寿庵と名付けた。
1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔した。1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」に権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。(Wikipediaより)
お昼のNHKは、通常の番組になるので、その間に少しだけお出かけ。さぬき市長尾前山にある、「おへんろ交流サロン」に寄って資料の確認。
ここには、「へんろ資料展示室」があって、貴重な資料が保存・展示されている。
幾らかの資料の画像を撮って、メモして・・・。
ここは何度も何度も来ているので、手慣れたもの。お仕事が済めばユーターン。
今日は奥方のけいこばぁが日勤勤務のために、今日の昼食はどうしようかと考えたが、
木田郡三木町にある「手織りうどん滝音(たきね)」である。ここも人気のあるお店で、11時から13時あたりは行列ができるお店。
今日は「肉ぶっかけうどん小の温いん」をお願いした。ここもプチ・セルフのお店で、カウンターで注文して、天ぷらやご飯ものをチョイスして、調理された麺を受け取ってお会計して、好きなものをトッピングして、好きな席に着いて食べる。食べ終われば、食器を返却口に戻しておしまい。
今日の掲示板はこれ。「人間の可能性を閉ざしているのは、他人でもなく、外部環境でもなく、自分の意識である」というもの。いいのも、悪いのも、好きも嫌いも、おいしいのもまずいのも、みんな、自分の意識なのだというのである。確かに、確かに、そうなのだけれど。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。