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Channel: まほろば自然博物館
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見過ごした 時の流れの 梅の花

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 さぬき市地方は、弱い冬型の気圧配置となっており、概ね晴れていたが、午後からは雲が広がってきた。気温はマイナス1度から8度、湿度は74%から53%、風は2mから4mの北西の風が少しばかり。明日の3日は、冬型の気圧配置も次第に緩むため、概ね晴れる見込みらしい。

  

 久々にいい天気になったのでお出かけをした。けいこばぁが庭先の掃除をしていて、私にも手伝って欲しいというのだが、お庭仕事はけいこばぁのテリトリー。あまり、踏み込みたくないエリア。

 

 前から気になっているこの歌碑。大窪寺のお庭にあるものだが、どうにもきれいに写らない。時間を変えていろいろ撮影するのだが、どうにも北向きに立っているので影ばかりになってしまう。今日もきれいには写らなかった。

 

 ここはお馴染みの、上がり三ヶ寺の一つの大窪寺。今日は平日ともあってか、参詣の人はまばら。

 

 ここにも歌碑らしいものがあるのだが、達筆すぎて読めない。空海さんのなんたらを書いてあるらしいのだが。さすがにここの空気は冷たかった。

 

 それでは・・・ということでやってきたのが、「野田屋竹屋敷」という宿泊施設。ここの山頭火句碑集を早々にまとめてしまいたいとやってきたもの。

 

 「蛍川沿いの遊歩道」とは、この道のことだろうか。「蛍川」という川は地理的にはない。ここの「ナツツバキ」の下に句碑があるというのだが・・・。右側にあるものは「アジサイ」の畑らしい。行ったり来たりを繰り返していたらば・・・。

 

 これかな・・・。「水あれば椿落ちてゐる」と読めそう。少し回りの風景が句碑集とは違うのだけれど。

 

 この写真は句碑集にはあるのだけれど、この石が見つからない。このバックの風景はどこかの玄関らしいが・・・。「水音 しんじつおちつきました」という句である。

 

 壁の石積みとか柱の色なんかでは、このあたりにありそうだが、ここには何もない。仕方がないので、旅館のフロントに行って聞いて見た。すると、「あそこにあるんです・・」と、すぐに教えてくれた。

 

 すると、中庭の奥の方に隠れるように置いてあった。こんな植え込みに移転されてきたのでは分からない。

 

 「これは、どんな句碑集にも載っていないの。よければ見る?」というので、見せて頂いたのがこれ。貴重なものだからと写真を撮らせていただいた。「うれしいこともかなしいことも草しげる」と読む。小学生の頃に、「文学はそのまま、書いてはいけません。「うれしかったです」とか、「かなしかった」ですという書き方はいけません。何があったからうれしかったのか、どんなことがあって悲しかったのか、その中身を書きなさい。」と教えられた。だのに、山頭火のこの句碑は、「さつき荘」と、「宗林寺」と、ここの三ヶ所にある。この句のどこがいいというんだろうか。

 

 その後、俳諧の寺、宗林寺さんにも寄ってきたが、新たな収穫はなし。

 

 上がり三ヶ寺の二つ目の「長尾寺」さんにもやってきたが、ここにある句碑を探しにきたのだが、依然として見つからない。松尾芭蕉の「観音の甍見やりつ花の雲」という句ならば、すぐに見つかりそうなのにどこにもない。最後はお寺の住職さんに尋ねるしかないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は自分の主人公。世界でただひとりの自分を創っていく責任者」という東井義雄先生の言葉から。これは、“教育界の国宝”と称えられた伝説の教師・東井義雄先生の遺した言葉。東井先生は、子どもたちに素晴らしい人生を送ってほしい、自分で自分の人生を粗末にするようなバカな生き方をしてほしくない、という祈りのような願いを持ち続けていた。結局、道にいい道、悪い道というのがあるのではない。その道をどんなふうに生きるかという、その生きざまによって、良く見える道も悪くなったり、悪く見える道も良くなったりするのである。五千通りの可能性の中から、どんな自分を取り出していくか、それぞれみんなの一人ひとりがその責任者なのである。世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、それぞれみんなの一人ひとりなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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