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Channel: まほろば自然博物館
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やまつつじ 思い思いの 時が行く

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 さぬき市地方は前線や寒気の影響で雲が広がり、未明は雨が降る見込みだが、その後は、高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は12度から20度と少し涼しい一日、湿度は86%から50%、風は4mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は火曜日恒例の香川県立図書館に行く日。ま、火曜日は大手を振って外出ができる日でもある。奥方も今日はお仕事だから図書館まで一緒に・・という訳にはいかない。このアキニレの枝に若葉が萌えだしてきている。

 

 つつじの花も開き始めて来た。今日は9時ちょうどにここに着いたので、駐車場もガラガラ・・・。館内もガラガラ・・・。

 

 仏教書5冊を返却して別の仏教書5冊を借りた。

 

 こういうものほか4点。やさしいものばかり。でも、一週間で5冊は無理だろうか。

 

 今日のトイレ休憩はここ。古来よりの水枯れの地である香川県を救う『香川用水』は、高知県早明浦ダムで貯水された水を徳島県池田ダムで阿讃トンネルに分水し、香川県に流している。トンネルから出た用水をさらに香川県内に貯水するべく新造されたダムが、この『宝山湖』である。その容量は香川用水2週間分。つまりいざ渇水になっても、これまでよりもさらに断水まで2週間の時間が稼げるようになったということである。頼もしくもあると同時に、香川県民の生活を守る本土決戦最後の砦ででもある。(四国堰堤ダム88箇所巡りより)本土決戦というのはちとオーバーな表現・・・。

 

 で、やって来たのは、三豊市山本町河内にある薬王寺さん。通称「ボタン寺」と言われている薬王寺は、明治維新までは菅生神社の別当の真言宗のお寺であった。

 

 境内には、明治になって菅生神社から移した本地堂・鐘楼のほか、本堂・大師堂・客殿庫裡・山門などがある。また、仏像は本尊薬師如来のほか脇侍などが8体と、仏画として高祖弘法大師像があり、大師像の両眼は弘法大師みずからの真筆と伝えられ、古来より目引き大師と崇められている。年中行事として、御影供(みえく)や4月中旬には「ぼたんまつり」があり、各地からの参拝客で賑わっている。

 

 今年の「ぼたんまつり」は4月の19日(日)だったもので、今は、のぼりも案内看板も何もない。久々にやってきたが、道を間違いもせずにたどり着くことができた。できたが・・・、「はて、ここで良かったのかなぁ・・」と、しばらくウロウロしてしまった。

 

 ここには、250種600株の牡丹が植えられているとは云うものの、牡丹が咲き乱れる・・という風景ではない。

 

 本堂よりも大きな大師堂・・。わずかに牡丹が植えられているという風景・・・。花が終わってしまった後なんだろうか・・・。

 

 この三豊は香川県一のたけのこ産地。高瀬、山本、財田などで生産されている。栽培されているほとんどは孟宗竹(もうそうちく)で、春に地下で大きくなったたけのこを掘り出して収穫する。道路脇に1mほどの大きな鉄製の箱が何十と置いてあって、そこにタケノコがぎっしりと詰まっている。

 

 こうなったタケノコは根元からバサバサと切り捨ててあった。大きくなったものは売り物にはならないのかも知れない。

 

 今日の昼食はここになった。仲多度郡まんのう町四條にある「太郎うどん」である。開店当時にはよくお邪魔したお店だが、ずいぶんとご無沙汰をしている。

 

 久々に「肉うどんの小」で350円。聞いていると、「かけ大・・」というのが圧倒的に多い。それに天ぷらものとご飯物をチョイスして食べている。よく入るもんだ・・・。

 

 ということで、今日も「木村宅家」にやって来た。草が一気に伸び出して来たが、草刈りには少し早い・・・。

 

 昨日に20本ばかり掘ったのに、またまた出ている・・・。

 

 今日は8本ほど・・。とにかく、旧宅の周辺とお墓の周辺に竹を伸ばすわけにはいかないので、小さい物や細いものは切り飛ばしてしまうが、大きなものは持って帰ってきた。

 

 これで鍋いっぱいになりそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんにあったもので、「人生において もっともたいせつな時は それはいつでも今です」というもの。相田みつを(あいだ みつを/1924年5月20日-1991年12月17日/男性)は、詩集『にんげんだもの』の著者として知られる詩人書家。 独特の書体で哲学的な作品を数多く発表した人物であり、「書の詩人」「いのちの詩人」とも称されている。旧制栃木県立足利中学校を卒業後、歌人「山下 陸奥(やました むつ/1895-1967)」に師事し、1942年に歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の「武井哲応」と出会い、在家のまま禅を学ぶ。1943年に書家を志し「岩沢渓石」に師事。書の最高峰のひとつである「毎日書道展」に1954年から7年連続入選を果たすなど、古典的な書における実力を示す一方で、専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、30歳の頃に独特の書体で短く平易な自らの言葉を書く作風を確立。1984年に出版した詩集『にんげんだもの』がベストセラーとなり広く知られるようになり、同詩集は後にミリオンヒットを記録している。(参考文献:ウィキペディア)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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