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Channel: まほろば自然博物館
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藤の花 休み続ける 親子連れ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10度から23度、湿度は76%から32%、風は3mから1mの北東の風が少し・・・。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 芝桜もいいが、そろそろ藤の花だなぁ・・ということで、徳島県石井町に行って来た。ここには、地福寺・徳蔵寺・童学寺という三ヶ寺で藤の花が見られるという。

 

 まずは、JR石井駅近くにある地福寺さんに寄ってみた。ここは元亀年中(1570年頃)にはすでに古寺といわれていた歴史ある寺院。慶長年間(1600年頃)火災に遭い、その後自覚大師により再建された。毘沙門堂の本尊毘沙門天は弘法大師作と伝られている。境内の藤は、寛政年間(1790年頃)に植えられたものといわれ、30mにも拡がる藤棚は現在も見事に花を咲かせ、石井町のシンボルにもなっていると云う。

 

 地福寺の境内には、紫藤と白藤の藤棚があって、山門を入ってすぐ右にあるのが「白藤」。幹は1本でものすごく太い。

 

 なかでも樹齢200年余りの紫藤は、石井町のシンボル。南北30メートル・東西6メートルの藤棚は、見ごろになると花房が1メートルにも及び、訪れる人の目を楽しませてくれるという。

 

 本堂前には盆栽の藤がずらりと並べられていて、その審査会も行われるのだという。

 

 町中に「藤まつり」の幟が立てられ、提灯が飾られている。また、町内各所に駐車場も用意されている。4月下旬~5月上旬に開催される藤まつりには、毎年多くの人が町内外から訪れ、その期間中には、盆栽審査会、フリーマーケット、写真撮影会などのイベントも開催され、石井町の特産物の販売も行われている。寛政年間時の住職隆淳上人が庭に1株の藤樹を植えたものがここまで成長している。花の長いものは2m余りにもなりみごとなものである。

 

 徳蔵寺は場所が分からずに通過してしまって、今度はここ。童学寺にやってきた。童学寺(どうがくじ)は、徳島県石井町にある真言宗善通寺派別格本山の寺院。山号は東明山(とうめいざん)、本尊は薬師如来。空海(弘法大師)学問所の由緒から学業成就の寺として広く知られる。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所でもある。

 

 変わった形の山門だが、ここの落書きがすごい・・・。

 

 こういうものや壁に刻んだものなどが全面にびっしりと・・・。これはあまりにもひどすぎる・・・。

 

 書き込まれた年代は、昭和30年代が多かったように思った。最近のものはない。最近はマナーが良くなったのか、それとも最近のこどもはお寺にはやって来ないのだろうか。それをそのまま放置してあるお寺の考えはどんなものなんだろうか。

 

 「阿波志」などに伝えられた寺伝によれば、飛鳥時代に行基が創建したという。奈良時代末から平安時代に掛けて空海が7歳から15歳まで、当寺で書道や密教などを学び、「いろは四十八文字」を創作したと伝わっている。その由緒から寺号を「童学寺」と称するようになったとされる。弘仁6年(815年)、空海が42歳の時に再び当寺を訪ねて伽藍を整備したという。

 

 これが童学寺のふじである。

 

 ここには、こんな、切支丹灯籠がある。

  

 切支丹灯籠だと云われれば、そうなんだ・・と思うが、云われなければ素通りしてしまいそう。

 

 ここの黄色いツツジが印象的であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「野辺の花がひたむきに咲いているように、あなたもひたむきに生きなさい」という松原泰道先生の言葉からである。松原泰道(まつばらたいどう)、1907年11月23日-2009年7月29日)は、臨済宗の僧侶で東京都港区の龍源寺の住職だった。1972年出版の「般若心経入門」(祥伝社刊)は記録的ベストセラーとなり、第一次仏教書ブームのきっかけを作った。1989年仏教伝道文化賞受賞。1999年禅文化賞受賞。著書は百冊を超える。宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」前会長。南無の会は1984年に正力松太郎賞を受賞した。2009年、肺炎のため101歳で死去した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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