丸亀市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で小雨が断続的に降っていた。気温は17度から20度、湿度は94%から63%、風は2mから1mの東南東の風が少しばかり。夜は高気圧に覆われてくるため晴れる見込みらしい。明日の10日は、高気圧に覆われて晴れるという。
朝から小雨が降っていたが、土曜日ということもあって、子供連れの家族が大勢でやってきた。高速艇には積み残しも出たとか聞いた。今日は、ご案内の通り、「しわく広島のお大師まいり」の日。
明治45年に、この島にミニ四国霊場八十八ヶ所、いわゆる島四国が開創された。今年は、その102年目になる。ここが、一番札所の「霊山寺」。多くが、ここから島四国を始めるようだ。この「立石集落」には一番から十四番までと、八十七番と八十八番の札所があって、お接待は三ヶ所、4札所で出される。
次の「江の浦集落」には、十五番から三十四番種間寺までがあり、お接待は、四ヶ所で出される。
次の「釜の越」集落には、三十五番清瀧寺から四十番観自在寺までがあり、お接待は四ヶ所。ここは旧道の峠にあるのだが、この日だけ、集落のなかほどに「出開帳」される。少し前までは「ところてん」のお接待があったが、それも絶えた。
次の甲路という集落には、四十一番龍光寺から四十五番岩屋寺までがある。ここは、四十二番の仏木寺。甘酒のお接待で有名なところ。
お接待のない札所は、このようになっている。これも新しい「よだれかけ」になっている。
次の青木集落には四十六番浄瑠璃寺から五十三番円明寺までがある。お接待は三ヶ所。ここは本物のお寺、長福寺さん。お接待の多いところだから大勢の人がお参りに来ている。
ここも、本来は旧道の山中にあったものを、自宅前の乗用車の中で「出開帳」をしている。
ここは天台宗の「玉瀧寺」さん。この市井という集落には、五十四番延命寺から六十八番の神恵院までの16札所があり、お接待は四ヶ所だった。
こんな形でお接待をやっている。
最後の茂浦集落には、六十九番観音寺から八十三番の一宮寺までの15札所があり、お接待は三ヶ所だった。ここは新しい試みとして歴史講座をやっていた。ここは、正福寺という真言宗の寺院で、ここには咸臨丸に関連する書画や絵皿などが保管されていた。そういうもののお話をやっていた。
で、最後の地福寺さんで私は打ち止め。
今回は、このような、集落ごとのパンフレットを作成して配布していたのが印象的だった。お遍路だけでなく、その他の島の魅力を知ってほしいものとして作成されたもの。
これが、本日に頂いたお接待の品々。スナック菓子が多くなって、ご飯物が少なくなったなぁ・・という印象だった。即席ラーメンも今年は二個になった。広島をグルリと回って、お接待のヶ所は二十ヶ所になった。毎年、二ヶ所くらいずつ減っていくように思う。
これを品物別に整理してみた。おせんべい一枚というのがおもしろい。私は一人だったけれど、子供連れで四人だとすれば、これの四倍だから、リュックやトートバッグには入りきらない・・・。
お昼は、頂いたラーメンと、お寿司に、賞味期限寸前のシュウマイをふかして食べた。
そして、慌ただしく片付けをして、12時50分発のフェリー「しわく丸」に乗って返ることにした。どうにも草刈り疲れの肩風邪だろうか、妙に頭痛がするし、寒気がするので、早々に帰宅することにした。
さすがに、いつもはガラガラのフェリーだが、今日は車両も満杯だし、一階も二階も三階も人であふれてすわる場所もない人が大勢いた。
今日の掲示板はこれ。「これまでは出来なかったことも これからは出来るかも知れない 過去にとらわれずやってみることだ」という、荒了寛さんの言葉から。過去にはどうやってもできなかったことでも、そこから積み上げてきた人間的な経験や知識が上積みされていて、少しの努力で簡単にできてしまうことがある。過去にできなかったから、前にもやったけれど・・・などと考えずに、新しい気持ちでやってみることも大切なことだ。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。